ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「プラン75」を見た

あらすじ
映画の冒頭、2016年に発生した相模原障害者殺人事件を下敷きにした現場の様子が映し出される。そして、障害者を殺傷した犯人は、「役に立たない障害者は死んで当然だ」と叫び、銃で自分の頭を撃って自殺する。場面は変わって、高齢者女性グループが高齢者健康診断を受診するため施設の待合室に集まっている。その待合室ではテレビで「プラン75」のCMが流されている。CMは「未来を守りたいから」というキャッチコピーのあとに、制度の利用を決めた女性のインタビューが続く。彼女が笑顔で「人間は生まれてくるときは選べないから、死ぬときくらいは自分で選べたらいいだろうなと思って。自分で死に方を決めることができたら安心だなと思って、なんの迷いもなかったです」と制度を推奨する姿が流されている。「健康診断なんかやめて、早くこの制度を使ってと誘っているね」女性グループの一人が仲間につぶやく。女性グループがCM動画をながめている中、一人の男性高齢者が突然立ち上がり、テレビの電源を消そうとするが、電源スイッチが見つからない。男性は苛立って電源コードを無理矢理引き抜いてテレビを消す。

少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン75>が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間ではしっかりと受け入れムードが作られていった。「プラン75」は、遺言信託、生前整理、葬儀、墓の手配、死後の手続き、心のケアなど、死を選んだ人の最期を無料でサポートする制度である。75歳以上の人が死にたいと考えたら、「プラン75」の窓口に行きさえすればいい。住民票も何もいらない。窓口スタッフが丁寧に優しく終活について説明してくれる。プラン75に申込むと、その場で10万円が支給される。このお金は使途自由で美味しいものを食べるのも良し、旅行に行くのも良し、お申込いただき有難うございますという形で支給される。申し込みが完了すると、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までコールセンタースタッフが寄り添うように優しく毎日サポートしてくれる。そして、“その日”の前日に、明日プラン75の関連施設に行くよう連絡がある。お出かけするときは、その後スタッフが遺品整理に入るので、家の鍵をかけないように言われる。申込むと淡々と時間が過ぎていく。

この映画の主人公である角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳、夫と死別してひとりで慎ましく暮らしていた。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は住宅の相談で役所を訪れる。そこで生活保護の申請を打診されるが、元気なうちは働いてなんとか生活していきますと言って申請を断る。ハローワークに通って職探しをするが今までやってきた客室清掃の仕事は他のホテルでも全て断られ、唯一夜間の交通整理の仕事を得て、働き始めるが長く続けることはできなかった。再度職探しをするが、高齢のため職が見つからず、思案にくれている中、<プラン75>の申請を考え窓口に出向き申請をする。その後、窓口担当の若い男性職員とコールセンタースタッフの若い女性職員と関わりを持つことになる。二人の若者は、仕事と割り切ってプラン75 の仕事に取り組んできたが、このシステムの存在に強い疑問を抱くようになっていくという形で物語は進行していく。

この映画を作った早川千絵監督は、「2000年代半ば以降、日本では自己責任という言葉が幅をきかせるようになり、社会的に弱い立場の人を叩く社会の空気が徐々に広がっていったように思います。そして2016年、障害者施設殺傷事件が起こりました。人の命を生産性で語り、社会の役に立たない人間は生きている価値がないとする考え方は、すでに社会に蔓延しており、この事件の犯人特有のものではないと感じました。政治家や著名人による差別的な発言も相次いで問題になっていましたし、人々の不寛容がこのまま加速していけば、<プラン75>のような制度は生まれ得るのではないかという危機感がありました」と振り返り、「そんな未来は迎えたくないという想いが、この映画を作る原動力となりました」と制作意図を語っている。

「プラン75」は、いくら優しく、お年寄りに寄り添ってと口では言っても、長生きすると社会に迷惑をかけるのだから、高齢者は早く死ねと言っていることと同じである。プラン75の基本は優生思想である。麻生副総理が以前、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べたことを思い出した。自民党の高齢者政策の一つの形がプラン75ではないかと思った。

高齢者問題は個人だけでは解決できない問題である。そういう中、れいわ新選組では重度障害者の候補者が立候補していた。その障害者の立候補について、党代表の山本太郎氏は障害者であっても伸び伸びと生きることができる国を造るために、当事者である障害者に国政に参加してもらうことが一番手っ取り早いと思って立候補してもらいましたと語っていた。今から高齢化社会が拡大していく。寝たきりになる高齢者も多く出てくるだろう。その高齢者に対していつまで生きているつもりだという政治では何も期待できない。障害者であっても人間の尊厳を最大限尊重してくれる政治に期待したい。