ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「インビクタス 負けざる者たち」を見る

この映画は2009年に制作されたアメリカ映画である。この映画は黒人初の南アフリカ大統領に就任したネルソン・マンデラが、人種によって分断され対立する国民を融和させ団結させて誇りある国家創りに取り組んだ史実を映画化したものであった。

1948年に始まった南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)は、国民の人口の20%を占める白人による支配を目的にした法制度である。政治, 経済,社会はおろか,個人の家庭生活の営み方にいたる迄,人種によって異なる規則が網の目のようにはりめぐらされ,これらの法律に違反する者は厳しく罰せられた。差別の実例をあげれば、国のあらゆる重要なポストへの被選挙権は白人のみにしか認められず、白人以外の人種には限定的に選挙権がみとめられているが,選挙で選ばれる権利があるのは白人のみである。国内には人種別の居住地区が定められていて,人口の80%を占める非白人に国土の13パーセントを,人口20%の白人に国土の87パーセントの居住区を割当てていた。


労働の面では,医師,法律家などすべての専門職,技術職は白人のみに確保されており,白人以外は法律上,それらの職業につくことができない。非白人は単純労働しかできないし、労働組合を結成することもできない。ストライキは有罪であり厳しく罰せられる。白人と非白人 間の結婚はおろか恋愛さえも法律で禁じられている。学校では,このような人種別の個別的発展が,非自人にとっても望ましいと教えられている。こういう体制を維持するためには,これに反対する者への厳しい弾圧、取締が行なわれてきた。
このような南アフリカ共和国の人種隔離政策は,何十年来,国際的非難の的となり、1993年アパルトヘイト法が廃止されるまで続いた。

舞台は1994年の南アフリカ共和国。この年、全人種選挙が初めて行われて、ネルソン・マンデラが黒人初の大統領に就任した時から始まる。
ネルソン・マンデラは反体制活動家として27年ものあいだ投獄されていたが、同国初の黒人大統領となった。初の黒人大統領が選出されたことによって、南アフリカの白人社会は大混乱となった。白人は南アフリカに住めなくなるのではないか!白人への仕返しの迫害が始まるのではないか!白人社会は戦々恐々としていた。

マンデラが初登庁の日、それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、一部の者達は荷物をまとめ始めていた。それに対しマンデラは、職員たちを集めて「黒人と一緒に仕事はしたくないという人は、辞めるのは自由だ。しかし、今まで通り仕事をしたいと思う人は、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。あなたたちの協力が必要だ」と呼びかけた。安堵した職員たちはマンデラのもとで働くこととなった。
大統領警護隊も新しく黒人チームが結成されたが、その警護隊に白人警護隊も加わることになった。黒人の責任者が「今まで我々に銃を向けていた者と一緒にチームは組めない。どうか黒人だけの警護隊にして欲しい」とマンデラに直訴した。マンデラは言った。「警護隊は私の周りにいていつも国民に見られている。南アフリカは黒人だけの国ではない。人種に関係なく優秀な人が活躍できる国であることを国民に示す絶好の機会だ。人種に関係なくみんなの力を合わせなければ新しい国はできない。私の考えを理解して努力して欲しい」と言って説得し、警護隊は黒人と白人の混成チームとなった。

一方、南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボクス」は当時低迷期にあり、ラグビーは白人がするスポーツとして理解され、アパルトヘイトの象徴として、黒人には非常に不人気なスポーツだった。政府内で黒人社会の出現の象徴として「スプリングボクス」のチーム名やユニフォームの変更を求める意見が多数を占めていた。しかしマンデラはこのチームが南アフリカの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、チーム名とユニフォームの存続を求め説得し、チームの主将フランソワ・ピナールを茶会に招いて励ました。

そのような白人のスポーツであるラグビーに力を注ぐ父を見て、最愛の娘が意見を言う。「アパルトヘイト時代、私たち黒人にひどい仕打ちをした白人の仲間たちを助けるようなことはしてほしくない。ラグビーを支援することは白人を利することになる。あの連中と握手なんかしないで欲しい。お父さんの支持者はみんなそう思っている。」それに対して「お前の意見は尊重したい。しかし、お前は理解せずに批判している。黒人のみんなが個人的な怒りをぶつけたいのもわかるが、それは身勝手な考え方だ。国のためにならん。ラグビーは白人にとって大切なスポーツだ。白人にとって大切なものを権限があるからといって変えたり、ないものにしたりすることは反感を得ることあっても何もプラスはもたらさない。新しい南アフリカに白人も黒人も希望を持てるようにすることが私の役目だ。そのためにラグビーはone team one countryになり得る」と言って説得する。

その後スプリングボクスのメンバーたちは、マンデラの意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導に赴くなどの一連の地道な活動により、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まっていった。
そしてスプリングボクスは、自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たした。今や新生南アフリカの象徴として見られるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュージーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨み死闘を制して優勝するという偉業を成し遂げた。


この映画のタイトルは「インビクタス 負けざる者たち」である。「インビクタス」はラテン語で屈服しないという意味らしい。南アフリカラグビーチームは予想を裏切ってラグビーワールドカップで優勝して、インビクタスを実証した。そして、ネルソン・マンデラは27年間獄中にあって厳しい迫害を受けてきた人である。懲役や拷問など筆舌に尽くしがたい様々な困苦を重ねてきた人である。ネルソン・マンデラもまさにインビクタスな偉大な指導者であった。