ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「デジタルファシズム」を読む その3

デジタル化の進行に伴うキャッシュレス化の問題などを見てきたが、デジタル先進国のアメリカでは都市計画においてもデジタル化に伴うさまざま問題が発生しているということが書かれてあった。デジタル化を標榜している日本はまさしくアメリカの後追いをしていることを考えると、アメリカの問題は日本の問題としてしっかり受け止めておく必要があると思った。

スーパーシティ構想というのは、最先端デジタル技術を駆使しながら、無人行政、無人銀行、無人スーパー、無人ホテル、自動運転などを次々に実現し、究極の利便性と最も効率化されたデジタル都市を計画し建設することである。すでに全世界で500を超える地域で、スーパーシティーの建設・計画が進められている。

スーパーシティーの下準備法案は、2013年6月14日安倍政権下で作られた、自由なビジネスを邪魔する規制にドリルで穴を開けるという;日本版TPPと言われる「国家戦略特区法案」である。この法律によって特区内では、政府の承認や許可、住民の合意や法律に則った届出などが不要になり、企業間でビジネスが進めやすくなった。TPP とはブロック経済の中で、参加国の間での規制をフリーにする協定である。法律を超えて、ヒト・モノ・カネが自由に行き来できるようにする協定であったが、あまりに企業利益に偏っているため、旗振り役だったアメリカ国内では、反対の声が大きくなっていったが、日本でいち早く成立したのが日本版TPPと言われる「国家戦略特区法」である。
この「国家戦略特区法」により、日本国内の指定された特区内では現行ルールが緩められ、「世界で一番ビジネスがしやすい環境」に作り変えられ、そこでは通常の法規制に縛られずフリーハンドでビジネス活動ができるようになった。
例えば、日本には医師法があり原則として医師以外の病院経営は禁じられ、また営利を目的にした医療をしてはいけないと定められている。しかし特区ではそれが認められ、病院株式会社の設立も、外国人医師による医療も可能になった。また日本の法律では、学校の運営は国や地方自治体、または学校法人にしか認められていないが、特区では営利を目的とした株式会社による学校運営や、外国人が経営し、外国人が教師が教える学校も可能になった。
この国家戦略特区法を下地にして、さらに2020年5月27日、スーパーシティーは企業天国になると言われる「改正国家戦略特区法(スーパーシティー法)」が成立した。

日本は法律を整えてスーパーシティー構想実現向けて邁進中であるが、スーパーシティー構想において、日本より先行しているアメリカの事例が述べられていた。それは快適な生活を得る反面、公共の概念が消滅する世界であった。

アメリカにおけるモデルケース : サンディ・スプリング市
「2005年に住民投票ジョージア州フルトン郡から独立したサンディ・スプリングス市は、行政サービスをすべて民営化した『完全民間経営自治体』として法人化された。この都市に住めるのは平均年収が一千万の富裕層である。きっかけは、ある時税金について、住民の頭に浮かんだ一つの問いだった。せっかく稼いで納めた税金が、市内の低所得層や障害者、高齢者福祉に使われるのはいかがなものか?貧しい子供の教育や食事に使われたところで、リターンが得られなければ無駄な投資だろう。自分達はこんなに頑張って富を得たのに、その大半が何も努力をしない人たちのために流れるのは、理不尽かつ無駄ではないか?そこでスピードと効率を重視する彼らは、最も合理的な選択肢を選ぶことにした。郡から独立し、富裕層の富裕層による富裕層のためだけの自治体を立ち上げたのだ。
新しく生まれ変わった人口9万4000人のサンディ・スプリング市では、市長も市議も職員も、公務員は皆、民間企業から派遣される。全ての公共サービスは民間企業が効率重視でスピーディーに運営する。警察や消防車を呼ぶと、到着までわずか90秒だ。全てがビジネスとして進むため、市民にとっては何もかも快適この上ない。何もかも契約ベースなので公務員の天下り、袖の下、私腹を肥やす隙も無い。『雇われ市長』は企業の CEO と同じで、結果を出せなければすぐにクビになるからである。だが、例えば自分が事故で障害者になり、働けなくなって収入がなくなると、ここにはもう住めなくなる。金の切れ目が縁の切れ目なのだ。
一方、富裕層がごっそりなくなって税収が年間440億円も減少したフルトン郡は、財政難から公務員を次々にリストラせざるを得なくなり、周辺地域には警察署がなくなってしまった。サンディ・スプリングス市内では警察が90秒で来るのに、そこから一歩外へ出た地域では警察官がいない。やむなく隣の郡に応援を求めると、その郡から警察が到着するまでにかかる時間はなんと2日である。
『待ち時間48時間』となれば、犯罪はし放題、毎日のようにコンビニ強盗が起こるのも無理はない。警察は当然間に合わないが、火災の時の消防車も同じパターンである。行政が効率とスピード、経済性を重視しすぎた結果、民営化によって公共サービスは崩壊していった。
今だけ金だけ自分だけ、とばかりに同じ地域で困っている人を無駄だと切り捨てるサンディ・スプリングス市には、明日は我が身と他者に心を寄せる想像力とお互い様の精神で手を差し伸べ合う「公共」の概念が抜け落ちている 。スーパーシティーがもたらすデジタル生活は魅力的である。しかし、主役は技術でなく、あくまでもそこに暮らす人々であることを、忘れてはならない」と結ばれていた。

スーパーシティーは快適な生活を得ることができるかもしれない。しかし、その快適性、利便性を追求した結果、地域の公共サービスの崩壊につながったという事例であった。スーパーシティー構想は実現のための法律の整備をはじめ日本でも着々と進んでいると書かれていた。時代に遅れるなという掛け声に急かされるのではなく、冷静な目で物事を見ていく必要性を感じた。