ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「笑顔が暴力を生んだ夜 なぜ人々はヒトラーに従った」を見た

NHK BSダークサイドミステリーの再放送で「笑顔が暴力を生んだ夜 なぜ人々はヒトラーに従った」を見た。ヒトラーが君臨できたのはゲシュタポという秘密警察組織を駆使して恐怖政治を敷いたからだと思っていたが、実際は恐怖政治ではなく、ドイツ国民によって大々的に支持されていたのが実情だったというのが最新の研究でわかってきたという番組であった。この番組を見ながら、リーダーのやり方によって国民はどういう方向にも進むのだと知って驚くと同時に、二度とこういうことが起こらない保証はないと思うと怖くなった。

 ヒトラー率いるナチスが台頭した時期はドイツが第一次大戦で敗北した後であった。この頃のドイツは第一次大戦の敗戦で領土の13%を失い、また多額の賠償金を課せられたことでドイツ経済は困難に直面していた。さらに、1929年の世界恐慌で国民の暮らしはどん底に転落し、大量の失業者が街に溢れていた時代であった。

 そういう時代に登場したアドルフ・ヒトラーは派手で過激な演説で目を惹き、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)を急成長させ、彼は奪われた領土を取り戻すことを訴えた。ドイツの誇りを取り戻すという主張は生活に困窮する人々の共感を得た。ヒトラーは当時の多くのドイツ人男性、女性の不満を吸収し、さらに民族共同体を主張し、ドイツ民族であれば誰でも国家にとって必要であり公平であると訴え、多くの国民の支持を得てナチ党は広がっていった。こうしてナチ党の議席は急増し、ヒトラーは総統となって全権力を掌握していった。ナチ党のスローガンは「総統は命じ、我々は従う」というものであった。ナチ党員は同じ制服を着て、同じ敬礼をして団結心を植え付けられ、人々は嬉々としてナチ党の命令に従っていった。

 ヒトラーは民衆の心をくすぐるための人気取り政策も行った。公的機関を設置して旅行やバカンスなどを庶民に驚くほどの格安で提供した。さらに国民車構想を掲げて、一家に一台をスローガンに数年後の納車を夢見て積立する制度を確立した。さらにアウトバーン計画で、これを建設することでヒトラーは年間60万人の雇用を約束しナチ政権の間に失業者は激減し経済政策は成功したと発表した。

 さらに共同体の結束を高めるために、商業の成功で比較的豊かで嫉妬をかいやすいユダヤ人を、共通の敵に設定した。ナチスはまずユダヤ人商店のボイコットを呼びかけ、そして、その後大衆的戦闘集団である突撃隊がユダヤ人商店を破壊した。多くの人々はこの様子をにやにやしながら眺めていた。

 ユダヤ人迫害はさらに盛り上がり、ドイツの若者たちはユダヤ人の書いた書物を焼きはらい、さらに、ナチの突撃隊がユダヤ人街を焼き討ちするという大規模な暴動が発生した。これに対してゲッペルスは「これらの行動はあくまで自然発生的なので抑える必要はない」と演説した。政府はあくまで止めないと言っただけなのだが、これが党幹部を通じて全国の支部に伝わるとより過激化していく。そして「水晶の夜」が発生する。警察は見て見ぬ振りで誰も止める者がいない中、民衆の中からも暴動に参加する者が出てくる。トップは「止めない」と言っただけであるが、それは実質的に「推奨する」と同じであった。ユダヤ人を追放した後の財産は地域で国民に格安で分配され、国民は喜んでそれらを受け取った。そして「水晶の夜」はホロコーストへと繋がっていった。

戦争が開始されるとナチスは、精神障害者を扶養することは社会的な無駄であるとして障害者を安楽死させるT4計画が発動された。病院で労働が無理だと判断された者は「生きるに値しない命」として安楽死施設に送られガス室で殺害された。しかし、T4作戦には宗教界から批判の声が上がった。批判を受け、表向きヒトラーはT4作戦の中止を命じたが、医療の現場では医師や看護師により自発的に安楽死が続けられ、これに対してナチスが止めることはなかった。そしてやがて高齢の病人、空襲での重症者、さらには第一次世界大戦での傷痍軍人までもが「戦争の役に立たない」と安楽死の対象にされ、20万人が殺害されたという。T4作戦に従事した医者や看護師はナチ党への忠誠と義務を意識したと語っている。またT4作戦の中心となった施設や医師や看護師がホロコーストの中心となることになった。

 恐怖政治によって、ユダヤ人への大虐殺の実行が行われたということではなかった。恐怖政治によっていやいやながら、障害児殺害が行われた訳ではなかった。ナチス党は多くの国民の支持を得て成立していた。初期においては、誰もがナチ党員になり、誰もが誇りを持って喜んでナチ党の党員として命令に従って行動していた。ナチ党員としての行動は集団で行動する喜びと満足感に満たされていた。それがいつのまにかどのような命令にも義務として従うようになった。みんながやるからやる。殺人だって虐殺だって国のためで悪いことではなく、正しいことをしていると考えるようになった。いや、正邪の判断ではなく、集団行動としてみんなと同じことをする義務感だけで行動するようになっていった。

日本の現在の政治家にもナチスに学べと叫んでいる者がいることを思うと、憲法改悪など政治家に騙されんようにしなければと改めて思う。