ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「東京五輪の大罪」を読む その1

8月17日、東京地検特捜部は、紳士服大手のAOKIから現金5100万円を受け取ったとして、東京オリンピック組織委員会の高橋治之元理事(元電通専務)を受託収賄の疑いで逮捕したという報道があった。その後も東京五輪疑惑に関連してさまざまな企業の名前が取り沙汰されているが、受託収賄疑惑として平井元デジタル大臣や森元首相や他の政治家の名前も上っている。東京五輪が終わって1年が経ち今なお暗い影を落としている中「東京五輪の大罪」を読んだ。著者の本間龍氏は次のように記していた。

東京五輪を撤退するチャンスは、少なくとも3度あった。最初は2016年のバージョン1予算案発表時であった。開催費用は当初の7400億円ではなく1兆6000億円〜1兆8000億円となることが明らかになった。もうこの時点で、開催するには巨額の税金投入が不可避なことが判明した。「コンパクト五輪」など不可能なことが分かったのだから、この時点で返上すべきであった。
 2度目の機会は、2020年、コロナ禍のため1年延期を決めた時だった。この時止めていれば少なくとも延期に伴う追加費用3000億円以上の無駄を阻止することができた。
 そして3度目は21年3月に海外からの観光客受け入れ中止を決めた時である。この瞬間に期待していたインバウンド効果は消滅し、国際的な人的交流の機会も消えた。あらゆる開催意義が消滅したのに、コロナの脅威だけは確実に増していたのだから、この時点で止める止めるべきだった。だが、政府と組織委員会は、これらの機会をことごとく逃し続けた。
 東京五輪が開催された21年の夏は、全国で自宅療養中のコロナ患者が3万人を超え、死者も出ていた。救急車を呼んでも入院先が見つからず、何時間もたらい回しにされた挙句に自宅に戻されたりしていた。だが、自宅療養とは名ばかりで自宅に放置されて死亡する人が続出していた。1都3県は、完全に医療崩壊を起こしていた。そのような危機的状況の中で東京五輪は強行された。NHK と民放テレビ局は連日、朝から晩まで五輪競技を放送し、国民の危機的状況をきちんと放送しなかった。結果的に五輪は、自宅放置の惨状を隠すカモフラージュの役割を果たしたのだった。
 国民の生命を危険をにさらし、国民の財産である税金を掠め取って行った東京五輪が成功だったなどと、絶対に言えるはずがない。五輪を中止していれば、そこに割いた医療資源を医療現場に戻し、救えた命があったはずだ。また、このバカなイベントに投入した3兆円以上の税金は、他にもっと有用な活用ができたはずである。

 東京五輪は『インバウンドという経済的意義』も『国際交流という精神的意義』も消滅し、さらには責任者の女性蔑視事案をはじめ数々の不祥事で開催コンセプトすらも欺瞞であったことがはっきりした。開催の根幹的意義が消滅したまま、連日連夜メディアが大騒ぎをして「金食い虫の空疎で巨大な競技会」が開催された。

 この無意味な競技会に政府と東京都は3兆円以上の税金を浪費した。そこにさらに無観客開催によって発生したチケット代900億円の返金や、追加のコロナ対策費など、数千億円規模の赤字が見込まれる。それらも全て都民または国民の税金で穴埋めすることになるのだ。一方、一部の興行主と企業だけが甘い汁を吸い、そのツケをすべて国民に回すような理不尽を、看過してよいはずがない。途方もない額の税金を浪費し、国際社会に恥を晒し、感染拡大を招いた責任はどこにあるのか。これこそ、国会の場で徹底的に検証すべきである。それをせずに既得権益層の逃げ切りを許せば、この国は何度でも同じ過ちを繰り返すだろう。

 東京五輪とは一体なんだったのか。それはアスリートや日本国民の為でなく、IOC電通をはじめとする、五輪貴族や特権階級のための私腹を肥やすための催しではなかったか。一部の権力者たちが決めた理不尽な方針を、国民があらゆる犠牲を払って完遂させられ、その後のツケも国民が払わされるが、権力者は誰も責任を取らない。太平洋戦争で具現化した、日本の宿痾たる『桁外れの無責任さ』は、戦後76年たっても脈々と生きていた。
 東京オリンピックを強行した後に残ったのは巨額の借金だけであった。政府や組織委員会が盛んに喧伝していた五輪の遺産(レガシー)など残るべくもなかった。日本の宿痾たる『無責任さ』の構造と責任の所在を解明し、責任者を厳しく処断することこそが、この東京大会が残す唯一の遺産となるのではないだろうか」と結んでいた。

東京五輪2020は、2013年の招致時点では開催費用は7,340億円と言われていたのが、終わってみたら4兆円にも費用が膨らんでいることがわかった。コロナという世界的パンデミックの中、止めるチャンスは何度もあったのに、一途に強行路線を貫いたのはなぜなのだろうかと疑問に思っていたが、それは一部の政治家、電通を中心とした五輪貴族や特権階級の人たちにとって千載一遇の金儲けのチャンスだったからということだろう。

 MIKIKO氏は、本来であれば、東京五輪開閉会式の最高責任者であったはずだが、電通に忖度しなかったことで、その職を追われた方である。彼女は全身全霊を懸けて邁進してきたが、電通の意のままにならなかったことで、その職を解かれた。その彼女は告発文に「このやり方を繰り返していることの怖さを私は訴えていかないと本当に日本は終わってしまう」と仕事の進め方について書いている。仕事の進め方ではないが、予算においても7400億円の予算が4兆円に跳ね上がっても誰も責任を取らない仕組みだと日本は終わってしまうと私は思った。