ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「新時代 沖縄の挑戦を読む」

玉城デニー知事の著書「新時代 沖縄の挑戦」を読んだ。玉城デニー知事の名前はどうしてデニーなのだろう、何も知らなかったので興味深く読ませていただいた。玉城知事はお母さんが日本人でお父さんがアメリカ人のハーフであり、アメリカ名はデニーで日本名は康裕と書かれてあった。小さい頃はハーフということでいじめられたり、上級生に殴られたりもしたようだ。母子家庭で貧しかったので高校は授業料免除、そんな玉城氏を支えてくれたのが友達であったり、二人の母親であった。玉城知事には産みの親と育ての親の二人の母親がいる。生みの親は働き尽くめで、知り合いにあづけられる形で育てられたようだ。いじめられて泣いて帰ったとき育ての母から、10本の指を見ながらどれも同じ長さではないよ、でも全部大切だよといって「だから、あなたの姿・形が周りと違っていても大丈夫。それは個性。気にしない」と言って元気づけてくれたことを忘れないと書いていた。玉城知事はラジオのパーソナリティーをしている時に市議会議員に押されて出馬したことが政界入りのきっかだったようだ。玉城知事の政治姿勢の一つである「誰一人取り残さない」という政治信条は沖縄の風土で生まれ育まれた玉城氏のバックボーンだと思った。

著書の中でも辺野古基地反対闘争の先頭に立って進んでいくことを述べていた。
「沖縄は、77年前の先の大戦において、我が国で唯一の住民を巻き込んだ地上戦の場となり、焦土と化し、多くの尊い人命や文化財等が失われた。1945年3月26日、慶良間諸島に上陸した米軍は、直ちにニミッツ布告(米国海軍軍政府布告)第1号を公布し、それ以来、沖縄は米軍の支配下に置かれ、27年にわたり、日本国の施政権から分離された。

戦争に負けた日本は、1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ講和条の発効で日本は再び主権を回復し、独立を果たした。一方、この条約の第3条で、沖縄は米軍の施政権下に置かれることになった。第二次安倍内閣は2013年、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」と定め記念式典を開催しお祝いした。安倍晋三首相ら出席者は万歳を行いましたが、沖縄にとって4月28日は、日本本土から切り離され、米軍施政権下に置かれることになった「屈辱の日」とも呼ばれている。
日本国民でもない、アメリカ国民でもない状態に置かれていたのが、復帰前の沖縄の人々であった。日本本土に行くにはパスポートが必要だった。米軍の施政権下にあるということは、平和主義や基本的人権の尊重をうたった日本国憲法は適用されない。罪を犯した米兵が軍事裁判で無罪となり、そのまま帰国することもあった。沖縄は「憲法の及ばぬ島」まさに治外法権の島だった。

本土復帰までの27年もの間、米軍の施政下にあった沖縄は、膨大な面積の土地が米軍基地として接収され、日本本土の高度成長期の産業育成の恩恵を受けることなく、さらに基地がある故に様々な事件・事故が多発した。6歳の女の子が米兵に乱暴殺害された事件、宮森小学校にジェット戦闘機が墜落し、17人の死者、210名の重軽傷者を出した事故、投下訓練中の米軍のトレーラーが民家の庭先に落下し小学5年生の女の子が亡くなった事故などで幼い命が奪われた。そのほか、米兵による、交通事故や殺人など多くの事件・事故が起こったがその補償問題や処罰など、必ずしも十分なものではなかった。

このような基地があるがゆえの筆舌に尽くしがたい被害を経験した県民は、土地の強制接収に反対する「島ぐるみ闘争」などを続け、日本の平和憲法の下での基本的人権の保障を願い、長きにわたる復帰運動を経て、1972年5月15日に日本本土への復帰を果たした。

また、本土復帰にあたり日本政府が発表した声明には、『沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらに広く太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝う我々国民の誓いでなければならない』と記されており、50年前の本土復帰当時は、沖縄県も日本政府も『沖縄を平和の島とする』という目標を共有していた。

しかし、1971年6月に日米政府間で調印された沖縄返還協定は、沖縄の米軍基地を復帰後も米国が継続して使用することを認めたものであり、多くの県民が望んだ「基地のない形での復帰」とは程遠いものであった。

また、復帰時において、沖縄県と政府が共有した「沖縄を平和の島とする」目標は、50年を経過した2022年の現在においても未だに達成されていないと言わざるを得ない。
この50年間に、沖縄県の米軍専用施設面積の全国に占める割合は復帰時の58.8%から、現在の70.3%に増加しており、現在もなお沖縄県に米軍基地が集中し続けている。加えて、現在政府が進めている辺野古新基地建設は、県民に新たな基地負担を強いるものであり到底認めるわけにはいかない。」

玉城知事は、「辺野古問題は沖縄の歴史に照らして容認できない。併せて、近年のアジア太平洋地域の安全保障環境の変化を背景に、沖縄の軍事的機能を強化しようとする動きや、核兵器の共有、敵基地攻撃能力の保有などの議論が見られるようになっているが、このような考えは、悲惨な沖縄戦を経験した県民の平和を希求する思いとは全く相容れるのではない。日本は平和外交でしか生き残れない」と語っている。

確かに、辺野古基地問題は沖縄だけの問題でなく、日本の安全保障の問題であり、日本全体の問題である。玉城デニー知事の考えに共感し、玉城デニー知事の考えを支持したい。沖縄知事選選挙速報で現職・玉城知事再選のニュースが流れた。玉城デニー知事の今後のますますのご活躍を期待したい。