ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

玉城デニー氏再選でネット上にあふれる「大丈夫か?」の声

9月11日に投開票された沖縄県知事選は、辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」が推す現職の玉城デニー氏(62)が、「辺野古基地建設容認」を掲げた佐喜真淳氏らを破り、再選された。「知事選の結果は沖縄に何をもたらし、日本の民主主義に何を問いかけているのか」というAERAの記事を読んだ。

 「玉城デニー氏の『当確』が伝えられると、『沖縄県民』がツイッターのトレンドワードに上がっていた。同時に、沖縄は台湾有事や尖閣有事に備えなければいけないのに、玉城デニー知事で大丈夫か、との声が『本土』から上がった。また、ネット空間では、今回の知事選で玉城デニー知事を指して、『沖縄を中国の属国にしたいデニー候補。ウイグル・モンゴル・チベットのように日本民族強制収容所に入れられ民族浄化(虐殺)されます』とツイッターに投稿した大阪府内の市議がいたそうだ。公選法違反(虚偽事項公表)に当たるとして、市民団体が9月5日、警察に告発状を出した、との記事が出ていた。こうした投稿が、もう何年も前からネット空間に跋扈している。故翁長前知事に対しても、かつて同様の言説が浴びせられた。それには、おびただしい数のリツイートや『いいね』がつく。どんなシステムやネットワークがあるのかはよくわからない。

 玉城デニー知事も翁長前知事も、『反米』でも『反基地』でも『反安保』でもない。そんな単純なスタンスで沖縄県知事は務まらない。沖縄の生活者のために、沖縄にあまりにも多く集中している基地をせめてもう少し減らしてもらえないか、安心して暮らせる空間を確保してもらえないか。地方自治体の長として、そんな当たり前の要求をしている。上空からヘリの部品が小学校や保育園に落ちて来たり、流弾が民間地に被弾したり、有害物質を放置したり放流したり、今の時代にそういうことってあり得ないでしょうと改善を要求している。安全保障政策以前の社会ルール、突き詰めれば、「人権」に地域差をつくらないでほしいということを知事は沖縄を代表して主張している。
さらに、先の大戦で日本で唯一地上戦の悲惨な体験をした沖縄県を二度と戦争の惨禍に巻き込むことがないようにするという沖縄県民の願いを実現するために先頭に立つのが沖縄県知事の使命である。平和な島沖縄の実現こそ沖縄の魂の叫びでもある。それを先頭に立って実現に向けて歩んできたのが翁長元知事であり、玉城デニー知事である。
こうした沖縄の要求は、保守・革新を問わない歴代知事によって繰り返されてきたが、今に至るまで政府や国民にほとんどスルーされてきた。さらに、今や無視では済まなくなり、基地負担軽減を求める「沖縄」への誹謗中傷はネット上で可視化され、常態化している。沖縄を対中国の軍事の防波堤と捉える見方が強まるにつれ、バッシングはますますひどくなっているように感じられる。」

米中対立や台湾有事の問題を受けて日本政府は対米追随と軍事力の増大に躍起になっているが、玉城デニー知事はアジア太平洋地域の課題は緊張緩和と信頼醸成であると考え、日本政府とスタンスが異なるのは確かだ。
今回、玉城知事が誕生したことを受けてネットでは、沖縄は台湾有事や尖閣有事に備えなければいけないのに、「玉城で大丈夫か」という声がネットで上がっているという。「大丈夫か?」という意味は判然としないが、玉城知事が反戦、非戦の知事だから大丈夫か?というのだろうか。もっと好戦的な知事が好ましいと思っているのだろうか?台湾有事で米国が介入したら日本も自動的に米中戦争に巻き込まれて米軍に加担するというとき、真っ先に戦場になるのは沖縄である。大丈夫かという意味の中に沖縄は日本の防波堤として犠牲になれという意味が含まれているような感じがしてならない。もう一度日本の捨て石になれと言っているように聞こえる。大丈夫かという言葉こそ悍ましいと思う。好戦的な知事が当選したら最悪であるし、政府の言いなりになる知事も最悪である。反戦、非戦の知事である玉城デニー知事を選んだことは今選択できる最も戦争を遠ざける道であったと思う。沖縄が戦争に巻き込まれたら、一気に全国に波及するだろう。そういう意味でも沖縄の問題は日本全体の問題である。

記者は最後に、「知事選の告示日から数日間、沖縄で取材した。『このままだと、沖縄は戦場にされる。それを避けるにはどうすればいい?』真剣な目でそう問う沖縄の友人に、答えをもたない私は固まるしかなかった」と書いていた。記者に限らず本土の日本人の全てがもう一度沖縄のことを自分のこととして考え直す必要があると思った。