ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「コロナ期の学校と教育政策」を読む

前川喜平氏の「コロナ期の学校と教育政策」を読んだ。元文部官僚としての豊富な知識を元に安倍政権、菅政権、岸田政権と引き継がれている現在の教育政策について解説されていた。その中でも「教育と民主主義」という項目について興味深く読ませていただいた。

2015年に18歳選挙権が立法化され、高校生の中に有権者が誕生したとき、自民党のホームページに「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というタイトルのページが設けられた。
 そこには、次のような文章が書かれてあった。
《党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いします。》とつづけ、投稿フォームを設置して、書き込みができる入力欄を設けていた。

 「子供たちを戦場に送るな」と主張することが、政治的中立性に反する逸脱した偏向教育……!? 生徒のことを思う教員ならば、「子供たちを戦場に送るな」と考えるのはごく自然、当然の話だと思うが、自民党はそれを偏向教育と考えている。教育現場では、戦争反対の言葉が使えないなどという話も聞いたことがある。そのようなことから、政治教育のあり方について疑問を感じていたので、前川さんの著書にあった「教育と民主主義」を読んでみた。

前川さんは、高校生の政治教育について以下のように説明し、意見を述べられていた。
 「2015年に18歳選挙権の立法化に伴い、文部科学省は『高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について』という通知を出した。
『選挙権年齢の引き下げが行われたことなどを契機に、習得した知識を活用し、主体的な選択・判断を行い、他者と共同しながら様々な課題を解決していくという国家・社会の形成者として資質や能力を育むことが、より一層求められます。このため議会制民主主義など民主主義の意義、政策形成の仕組みや選挙の仕組みなどの政治や選挙の理解に加えて、現実の具体的な政治的事象も取り扱い、生徒が国民投票投票権や被選挙権を有する者として自らの判断で権利を行使することができるよう、具体的かつ実践的な指導を行うことが重要です』と書いています。
 『現実の具体的な政治的事象』とは何かと言えば、まさに国会の予算委員会で論戦が行われているような問題を学校の学習課題として取り上げなさいということで す。安保法制や特定秘密保護法共謀罪法、最近では入管法の改正の是非といった問題を学校の授業で取り上げて、具体的かつ実践的な指導を行うことが重要だと言っているのです。これは画期的な部分だと思います。
 ただ、問題なのはその後に政治的中立性ってことをくどくどと言っているのです。『指導にあたっては、教員は個人的な主義主張を述べることを避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること』と言い、また教員の影響力を行使するなと言っています。『教員は、その言動が生徒の人格形成に与える影響が極めて大きいことに留意し、学校の内外を問わずその地位を利用して特定の政治的立場に立って生徒に接することのないよう、また不用意に地位を利用した結果とならないようにすること』とも書いてあります。例えば、学校の外で憲法改正反対のデモに参加して、たまたま教え子にあって声かけたら、影響を与えるという話になってしまいます。結局、そういうことを言わてしまうと何も出来なくなってしまって、政治的な教育なんか考えないようになってしまいます。教室の中で自分の主義主張を述べてはいけないし、学校の内外を問わず一定の政治立場で生徒に接してはいけないし、また不用意に影響を与えてはいけないというのです。

 『現実の具体的な政治的事象』を取り扱えと言っておきながら、教師が自分の立場を表に出してはいけないというのは、仮面を被って自分の意見は一切おくびにも出さずにやれということです。これでは、教員は萎縮してしまいます。政治的見解を持っていない教師が、生徒に政治的見解をもたせる教育をできるはずがありません。憲法教育基本法に照らせば、教師が教室の中で自分の政治的見解を述べることは許されると思います。その点で、私が優れた考え方だと思うのはドイツのボイテルスバッハ・コンセンサスです。
それは、当時の西ドイツの政治教育に携わっている教育者や学者が1976年にボイテルスバッハという町に集まって議論した結果をまとめた政治教育のガイドラインです。それは三つの原則から成っていて、
 第1の原則は、教師は自分の意見で生徒を圧倒してはいけないという 「圧倒の禁止の原則」です。教師は、「これが絶対に正しいのだ」と言って意見を押し付けてはいけないのですが、裏返せば自分の意見を明らかにすることを禁じてはいません。そこが文部科学省の通知と決定的に違うところです。
 第2の原則は、現実の政治の上あるいは学問の上で論争のある問題は、論争があることを生徒に伝えるという「論争性の原則」です。例えば「9条改正」の問題にしても賛成・反対それぞれ論争があることをきちんと伝え、教師が自分の意見を言ったとしても、それと反対の意見も同じ比重で伝えなければいけないのです。
 3番目は、生徒自身が自分の問題として考えるように仕向けていくという「生徒志向の原則」です。有権者として自分の判断をしなければいけないのですから、これは当然なことだと思います。これらのボイテルスバッハ・コンセンサスは文部省の通知の考え方よりも優れていると思います」と書かれていた。

前川さんの説明を聞いて納得した。偏向教育を懸念するのであればボイテルスバッハ・コンセンサスの手法を導入すべきだと私も思う。徒に教師を萎縮させる方法では、良い教育ができるはずがない。ボイテルスバッハの「生徒志向の原則」は、生徒自身が自分の考えを持つように導くことであり、良い有権者を育成する上で有効な手法だと思う。日本でも早急に導入してもらいたいと思う。