メタボ解消のため、毎日7000歩歩くのが好ましいと言われているが、最近は、2000歩程度しか歩いていない。朝、目を覚まして窓を開けると今日は曇りである。天気予報では午後から雨が降るようだ。午前中は雨には会う心配はないようなので、久しぶりに早朝ウオーキングに出かけることにした。
スタート地点ははいつものように香焼町のシンボルパークである。シンボルパークの「愛と平和の像」の前をスタートして南西の方向に進んでいくと、すぐに香焼教会の建物が見えてきた。香焼教会の近くから道は上り坂になる。一歩一歩踏み締めるようにして上っていく。
香焼教会を過ぎてどんどん上っていくと、雑草によって歩道が狭くなっている。この雑草はよく見るが、名前は知らない。グーグルレンズで検索すると、「ナンバンカラムシ」と教えてくれた。ナンバンカラムシを調べてみると、「ナンバンカラムシは中国から渡来し、繊維用に栽培されたものが野生化したものとも考えられている。在来種のカラムシと交雑したものも多いといわれ、カラムシに比べ大型である。カラムシの和名をクサマオとし、カラムシをナンバンカラムシの別名とする見解もある。全国に分布し人里に近い山野に多く生える。茎の皮から採った繊維が丈夫だったことから、古代から衣類の原料として最もよく使われた」と書いてあった。何の役にもならない雑草と思っていたが、昔の人はこの植物から繊維を作り、衣類の原料としていたようだ。
上り坂を登りきって道は平らになった。右手に香焼町の唯一の寺である円福寺が見えてきた。円福寺は香焼町の名前の由来である弘法大師空海をお祀りしているお寺である。香焼町の名前は弘法大師がこの地に滞在した折、この地で香を焚き安寧を祈願したことから、この地を香焼とよぶことになったと言い伝えられている。左手を見ると、雲に阻まれていた朝日がスポットライトのように明るく空を照らし始めた。なんとか午前中は雨にはならないですみそうだ。
黄色い花が咲いていてよく目立つ。近くに寄って見るとショウキズイセン(鍾馗水仙)である。ショウキズイセンはヒガンバナ科の植物で、赤い彼岸花の近縁種である。赤い彼岸花から少し遅れて咲き始めるようだ。今日のウオーキングで一番目立った花であった。ショウキズイセンの花言葉は「深い思いやりの心」「陽気」「元気な心」と書いてあった。
道なりに歩いていくと豊前坊社の鳥居が見えてくる。そして鳥居の横に大きな木が聳え立っている。この木はエノキである。大正7年(1918年)の香焼村郷土誌に、豊前坊社のエノキは本村中最古木たるべしと書かれていて、樹齢200年以上と言われている。神木のように大切にされ、集落の変遷を見守ってきた木である。エノキとしてはまれに見る大木である。久しぶりに木の肌に触れてみる。硬い荒々しい木の肌と大きな幹周りの重量感からパワーをもらう。
豊前坊社の過ぎてまた上りが続く。そして右手に「長崎市指定史跡 遠身番所跡」という案内板が立っている。今日のコースから外れるが、久しぶりに遠身番所跡へ行ってみようと思って山の方へ入っていく。江戸時代、鎖国政策が行われていた時、オランダ船など許可された船以外の長崎への入港は禁止されていた。その監視のための遠身番所が香焼にも設けられていた。昔、私はこの史跡を見学したことがあるが、その時は、遺構として連絡用の狼煙台が昔のまま残されていた。昔はこのコンクリートの階段は作られてなかった。これだと楽だと思って上っていったが、階段は途中まででその先は藪になっていて通れない。已む無く途中で引き返すこととした。これでは狼煙台もあるかどうかわからない。
左手に海が見えてきた。海の先に見える山並みは野母崎半島の脊梁である。日の出頃はその脊梁に厚い雲がかかっていたが、雲の合間に青空が見えるようになった。しばらく道なりに進むと「日中不再戦」の石碑を見る。長崎市内には「日中不再戦」の石碑がいくつか建てられている。一つの市にいくつも日中不再戦の石碑が建てられているのは全国でもそんなにないかと思う。長崎には昔から多くの中国人が住み、一番多い時は5人に1人は中国人という時代もあったようだ。長崎と中国は長い歴史の積み重ねがある。その中国と二度と戦争はしないというのは長崎人の心からの願いである。
日中不再戦の石碑を過ぎてしばらく行くと、香焼総合公園である。ここまで来たら展望台へ上って最高の景色を楽しみたいと思う。上りがまた続くが頑張って上っていく。そして、今日の最高峰となる展望台へ到着。雲も取れて青空がいっぱいに広がっている。風が気持ち良い。展望台から隣町の伊王島大橋と伊王島を見る。次は久しぶりに伊王島をウオーキングしたいという気持ちが湧く。歩くことは喜びである。その喜びをいつまでも味わいたいと思う。