ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

野田元総理の追悼演説について

平野貞夫さん、佐高信さん、早野透さんの御三方が鋭く現在の政治に切り込む「3ジジ放談」を見た。その番組の冒頭、平野さんが今回の追悼演説について話をしますと言って、野田元総理の追悼演説について次のように述べていた。

「私は、衆議員議院事務局に33年いたので、その間追悼演説の原文を何回も書いてきた。その経験から言うと、今回の野田佳彦氏の追悼演説は日本の国会史上、最低最悪のものであったと思う。追悼演説というのは政治家の地位とか働きとか、いろんなことを一つの基準にするわけだが、一番大事なことはその故人の人間性の根幹を演説に出して、いい部分もあるし悪い部分もあるけど、それを衆議院議員本会議場で出して、歴史的意義づけをすることである。この歴史的意義づけがないと衆議院における追悼演説にならない。意味がない。野田氏の追悼文の中身は何ですか。二人が談合した時の話じゃないですか。国会軽視でしかない。演説の中身はないが言葉巧みに言うものだから、議場の人間があれだけの拍手をした。しかし、拍手をする人間もおかしいですよ。この衆議院の状況を見て、知性も何もない今の衆議院を見て、私は衆議院の葬式がいるなと思った。安倍晋三という政治家の歴史的存在意義について何も述べていない中身のないあんな演説に参加者が万雷の拍手をするというのは、日本という国の危機だと思った」と述べていた。

私は野田氏にも安倍氏にも政治家として興味も関心もないので、当然野田氏の追悼演説に興味も関心もなく聞いていなかった。野田氏は演説上手という評判は以前より聞いていたので、野田氏なら美辞麗句を並べて演説するだろうとは想像していた。平野貞夫さんが怒りをもって話すのをみて、どのような演説だったのか確認するために聞いてみた。追悼演説を聞いて、こんな人が、かつて日本国の首相をしていたのかと思うと情けなくなった。確かに平野さんがおっしゃる通り、美辞麗句を並べているばかりの中身のない演説であった。

先日、ある番組を聞いていたら、フェイクニュースをお伝えしますと言って「本日、立憲民主党野田佳彦議員が自由民主党に入党が決定しました」と話していたのを聞いた。その時はそれだけしか聞かなかったので、何でそんなフェイクニュースを面白がって話すのかなと思っていたが、野田氏の追悼演説を聞いて納得した。これは自民党へのラブコールであり、それが自民党へ認められたという話だったのだと合点した。

なぜ野田氏は、安倍晋三という政治家について、彼の業績をたどり明暗を明確に述べないのかと思った。安倍氏は憲政始まって以来の長期政権を担ったと野田氏は絶賛していたが、その長期政権の中で安倍氏がしてきたことは何だったのかを野田氏は一言も触れていない。安倍晋三氏は、長期政権の中で公文書改ざん、森友・加計疑惑の真相隠し、自衛隊日報隠ぺい、文民統制の崩壊、財務省セクハラ問題、「働かせ方改悪」のための労働データねつ造、教育への介入や圧力などの強権政治や国政私物化をやってきた。国会で何回も嘘を突き通し、「嘘は安倍晋三のはじまり」という言葉さえも作った。

その結果、日本はどうなったか。私達は民主主義国家として立憲主義に則って国作りを行ってきた。安倍首相は日本国首相という最高権力者となっても、当然立憲主義に則って民主主義国家作りに努めなければならなかった。しかし、彼はそれをことごとく破壊してしまった。民主主義のルールの一つとして多数決がある。しかし、多数決が必ずしも正解とは限らないため私たちは国会の場で議論するルールを整えた。しかし、安倍政権は多数決は民主主義を構成するものの一つにすぎないのに、『多数決=民主主義』という考え方を全面展開した。その結果、国会を開かず国会での議論をすっ飛ばした。国会を開いてもうそをつき、何度も次から次に嘘をつき通し、また、国会での質問に対しては関係ないことをくだくだと述べて時間切れを企み押し通した。法の支配も立憲主義も、全部そぎ落とし、最後には多数決による強行採決で押し切る政治をやってきた。ここまで完璧に国の秩序を破壊した政治家はいなかった。ウソを平気でいう人間とは議論は成り立たないことから各国の国会では虚偽答弁は議員の罷免問題に発展する重大犯罪に扱われるようだが、日本の国会では嘘をついてもお咎めなしである。それが通るようになったのは、まさに安倍政治が日本の政治を根本から破壊したからである。それと対峙してきた野党党首がそれについて一言も触れないのだから中身がないと言われても当然である。

さらに、野田氏は安倍氏の銃撃事件を、「後ろから撃たれた、テロだ、これに屈するな、民主主義を守れ」と野田氏は叫んでいたが、本当にそうだろうか?安倍晋三銃撃事件は本当に政治テロなのか?政治テロとした方が安倍氏の名誉のために都合がいいからそう思いたいのだろうが、そんな高尚なものではない。ウソ偽りの教団である統一教会に加担して広告塔を演じて、国民を不幸に陥れた結果、仇討ちにあった話ではないか。殺人がいいとは決して思わないが、安倍晋三銃撃事件を政治テロと喧伝するのは事実から目を逸らし、安倍氏の暗部に目を閉ざすことにほかならない。野田氏の追悼文はその意味においても意味不明である。

安倍氏の政治はウソの乱発、公文書改ざん、資料隠蔽、統計データの改ざんによる国際的信用の失墜で日本を三流国に貶めた人である。それでも、その罪に蓋をして礼賛する追悼文では日本の進むべき進路をさらに歪めることになる。今こそ、あなたの政治は間違いだったということを明言し、安倍晋三からの決別こそ必要でなかったか。安倍晋三礼賛の追悼は日本への弔辞と同様であると深く憂う。