今日の集合場所は眼鏡橋の袂である。眼鏡橋は1634年(寛永11年)に架けられた日本で1番古い石橋である。当時、ここには木橋が架けられていたが、豪雨のたびに流されていた。中国から来日して興福寺の2代目住職であった黙子如定(もくすにょじょう)は見かねて、中国から石工を呼び寄せて当時の最先端技術である石橋をこの地に造ったと言われている。そして眼鏡橋は、今日まで一部破損することはあっても流失することなく度重なる水害に耐えてきた石橋である。長崎人にとって眼鏡橋は強固な日中友好の証でもある。
今日訪問する最初の札所は東明山興福寺である。眼鏡橋を造った黙子如定が住職を勤めたお寺である。興福寺は日本で最古の黄檗宗の寺院であり、日本で最初の唐寺である。そして初期の頃は代々中国の僧侶が来日して住職を務めていたお寺である。山門が朱塗りのため、「あか寺」と呼ばれることもある。札所は山門の横にある第78番霊場である。札所のご本尊は釈迦如来である。読経して参拝する。
次にお隣の東雲山浄安寺へ行く。山門の前で「山門の前で立ち止まり、合掌して境内に入ります。荷物を持っているときは片手合掌でも結構です。山門は左側通行です。なぜなら左が下手だからです」と先達より説明があった。先達に倣って合掌して入山。そして境内の一角にある第88番札所のお堂に参拝する。札所のご本尊は阿弥陀如来である。
続いて第47番札所である萬年年山三宝寺に行く。ここの境内の一角にお堂があり、そこで札所のご本尊はお祀りされている。札所のご本尊は閻魔大王である。ご尊顔を拝する。怖い。確かに閻魔天であられる。読経して、参拝する。
次に第41番伊良林観音堂へ行く。ここの札所のご本尊は観世音菩薩である。読経して参拝する。続いて第64番八幡町阿弥陀堂へ行く。ご本尊は阿弥陀如来である。ここのお堂は八幡町町内会が管理しているそうだ。読経して参拝する。
次は第25番札所である横向地蔵堂へ行く。ここのご本尊は延命楫取地蔵菩薩である。ここの地蔵さんが横向きなのは、昔、ひとりの泥棒が町でひと稼ぎして、お地蔵さまの近くで盗んだ品物をしらべていた。それをお地蔵さまに見られてしまい、「すみません。どうか今回は見逃してくだされ」とお願いしたところ、「一度だけは見逃してやろう」と言って顔をくるりと横にむけらられたという言い伝えから横向き地蔵になっていると書かれていた。お地蔵さまの大慈悲が言い伝えられているようだ。
次は、第61番子安大師堂へ行く。札所のご本尊は弘法大師である。子安大師の原点は愛媛県の四国第61番霊場の香園寺子安大師である。その昔、弘法大師はこの地で女性が難産で苦しんでいるのをご覧になり秘法をもって苦しみを救われ、女性は玉のような男の子を無事出産することができたことに由来する。次に第27番五島大師堂へ行く。ご本尊はは十一面観音である。読経して参拝する。参拝後、お茶とお菓子のお接待を受ける。
第21番五島大師堂までは緩やかな上りで楽に進んできたが、これからは彦山の山中にある豊前坊神社の3箇所の札所を目指す。豊前坊神社へはかなりきつい直登の参道を登っていく。この辺りの参道は自然石の石畳でできている。昔の人が踏み固めてできた石畳道である。
直登の参道を30分ほど登ってくると大岩に囲まれた修行場に出る。その奥にご本尊である虚空蔵菩薩がお祀りされている。ここが第12番豊前坊下虚空蔵堂である。読経して参拝する。
第12番札所からさらに直登の石段を登っていく。かなりきつい。この石敷きの参道は大正10年(1921年)に、千三百四十三円十銭の寄進と近辺郷民の労役提供を得て完成したと案内板に書かれている。昔の人がお金と労役を提供してできた道である。感謝である。一歩一歩息も絶え絶えに階段を登っていくと、ハート型の石を発見。このハートは大正時代の方の考案ではないと思う。立ち止まってひと息つく。
直登の石段を上っていくと小さな祠に出る。そこは第46番一ノ瀬大師堂である。以前は、町中にあったが、今は豊前坊神社の域内に鎮座されたようだ。ご本尊は弘法大師である。
次は豊前坊神社最後の札所である第45番豊前坊上不動堂へ行く。ここには不動明王がお祀りされている。読経して参拝する。そして、豊前坊神社の3箇所の札所参拝を終えて下山する。
豊前坊社から20分ほど下りてくると、第34番英彦山不動院に着く。ここのご本尊は不動明王である。本堂は先客があり不動明王のご尊顔は拝することは出来ず、外から読経して参拝する。写真は本堂脇に安置されている水子地蔵尊である。
これから仲間は日見峠を越えて、さらに日見地区の札所巡りに取り組むが、私は午後から用事があるため、今日はここで切り上げることとした。今日も楽しく札所巡りを行うことができた。昔の人がお金を寄進し、さらに労力も提供してできた参道があるおかげで事故なく無事にお参りができた。そのような善意の恩恵を強く感じる1日であった。感謝である。