ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

久しぶりの上京 その2

上京二日目、今日は三島へ友を訪ねる。三島の友は大学時代のクラブのリーダーである。今回の同期会は病気のため不参加ということでお見舞いに行くことにした。静岡は首都圏から離れているという感じを持っていたが、新横浜から三島までは新幹線で30分で行けることを知って驚いた。三島がこんなに近いとは思わなかった。都会は便利だと改めて感じた。

三島駅に着いたら電話をするという約束で三島駅に着いた。改札口に向かっていたら改札口の向こうで白いキャップを被った男性がこちらを見ている。まさしく友であると思った。慌てて手を振って、連絡もしていないのにどうしてこの電車がわかったのだろうと思いながら改札口で精算して出ると、その白いキャップを被った友はいない。近くをキョロキョロと探すが見つからない。そこで、友に電話をしたら、本人が出て「駅のどこにいるのか」と私に聞く、事情を話すと「それは勘違い、見間違い」と即座に否定される。すぐ駅に行くからそのまま動かないでと言われて駅で待っていると白ではないキャップを被った友が迎えにきてくれた。友と近くの甘味処に行きコーヒーを飲みながら話をした。友は「辛い時は起き上がることもできないほどであったが、今は少し動けるようになった。しかし、完治したわけではないので、これからも病気との戦いは続く」と語っていた。三島の友は若い時から冷静沈着、崩れない人であった。自分のことより部員のこと周りのことを心配する人であった。我々からするといつも頼もしい存在であった。病気を抱えた今、周りのことに気を使うことなく療養に集中してもらいたいと思う。お互い歳だから寿命が長くないことはわかるが、できるなら元気にもう少し人生を楽しもうと言いながら別れた。

 

静岡県富士山世界遺産センター

三島の友と別れて、そのまま東京に戻るのはもったいないと思い、三島駅から40〜50分で行ける富士宮静岡県富士山世界遺産センターに行くことにした。静岡県富士山世界遺産センターは2013年にユネスコ世界文化遺産に登録された「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」を後世に守り伝えていくための拠点施設として造られたものである。ここに行けば富士山の全てがわかると聞いていたので、一度も富士山に登ったことのない私は、特に楽しみにしていた場所である。

 

富士山世界遺産センターは富士宮駅から徒歩8分のところにある。富士宮駅から歩いていくと大きな鳥居が見えてくる。この赤い鳥居が富士山が古代から信仰の対象として継承されてきていることを示している。そして、富士山世界遺産センターの大きな特徴になっているのが逆円すい形の巨大なモニュメントのような展示棟である。この展示棟は富士山で伐採された富士ヒノキの木格子で覆われている。中は展示棟になっており、壁面に投影される富士山のさまざまな風景を楽しみながら富士登山を疑似体験できる仕組みになっていた。 

入館すると、逆円錐形の展示棟の193mのらせんスロープに沿って上っていく。壁にはいろんな表情の富士山が映像で映し出される。晴れの日の富士、日の出前の富士、富士山から見る下界の灯り、さらに森林に覆われた富士山、ゴツゴツした岩場の富士山、四季折々の富士山など頂上までさまざまな富士山を味あいながら上っていく。

 

そして展望ホールに到着。ここからは左の写真のような雄大な富士山が見える予定であったが、当日は雨のため、全く富士山の姿を見ることはできなかった。因みに冠雪している写真の富士山は一月から二月の写真という説明であった。

途中、映像シアターでは265インチの大画面に高精細な4K映像で美しく雄大な富士山の姿が上映されていた。展示棟は聖なる山、美しき山、荒ぶる山、育む山、受け継ぐ山などの各テーマで富士山が紹介されていた。

 

左:かぐや姫屏風より  右:富嶽三十六景神奈川沖波裏より

富士山は古代より歌に物語に絵画にインスピレーションを与え描かれてきた。かぐや姫物語も富士山が出てくるという説明があった。「竹から生まれ、美しく成長したかぐや姫は帝や貴公子たちの求婚を受け入れず月の世界に帰っていきます。帝は手に入れた不死(富士)の薬を姫に会えないなら意味もないと、最も天に近い山であるこの場所で焼かせます」そして、それが富士山の地名につながったという。神奈川沖波裏葛飾北斎が描いた富士山の一つである。

左:松尾芭蕉     右:与謝蕪村

富士山は歌にもたくさん詠まれている。松尾芭蕉は「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ おもしろき」と詠んでいる。この歌は旅の途中、箱根で、霧や時雨で富士山が見えないことを、それもまた風流だと面白がって詠んだ歌と書かれている。また、与謝蕪村は「不二ひとつ 埋み残して若葉かな」と読んでいる。生命力が溢れる五月、裾野の樹木でも覆い隠せない広大な富士の姿を読んだ歌と書かれている。そのほか、狂歌や川柳にも面白い句が詠まれている。「富士の山夢に見るこそ果報なれ 路銀もいらず草臥もせず」(意味:富士山は、寝て夢に見るのが一番だ。旅費もいらないしくたびれもしないのだから)  「遥拝はどこでもできる富士の山」「富士山は下手が書いても富士と見え」(狂歌 川柳 油煙斎貞柳作)

富士山の美しい景色や豊かな自然の恵みが長い歴史の中で富士山への信仰を生み出し、今も日本人の心の拠り所になっているということを実感する富士山世界遺産センター見学であった。富士山に一度は登ってみたいと思っていたが、年齢的にもう富士山に登るのは無理かなと思う。富士山に登ることはできないが、今日の訪問で、富士山のことを少しでも多く知れてよかったと思う。