ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

保育園虐待を考える

 12月10日の長崎新聞の「水や空」に下記の文章が掲載された。
 明治の初めに来日した米国の動物学者モースは、日本人の特色を著書「日本その日その日」に書き残している。衛生に気を配り、感染症が少ないこと。生来、道徳や品性を備えていること・・・。来日した外国人の一致する味方として、日本は「子供たちの天国」とも書いている。子供はみんな、親切に取り扱われ・・・・、自由を持ち、うるさくぐずぐず言われることもない。にこにこしているところから判断すると、朝から晩まで幸福らしいと記している。
モースが今の日本を見たとしたら、「子供たちの天国」とは形容しようにもできないだろう。静岡県の保育園で、園児の足を掴んで宙吊りにしたり、頭を殴ったりした疑いで元保育士3人が逮捕されたが、その後も虐待の例が各地で明るみに出ている。熊本市では、乳児院の職員が幼子に「顔面偏差値、低いよね」と刃物のような言葉を浴びせていた。
 保育園幼稚園の問題は虐待に限らず、今年の9月には静岡県牧之原市認定こども園「川崎幼稚園」で園児の河本千奈ちゃん(3歳)が通園バスに取り残され、熱中症で死亡した事件が起こった。千奈ちゃんは午前8時50分ごろにバスで登園したが降ろしてもらえず、午後2時10分ごろ、車内で意識不明の状態で見つかった。約5時間にわたり置き去りにされたとみられる。発見時、千奈ちゃんは上衣を身に着けておらず、水筒は空になっていたとあった。

 「子供の天国」と言われていた日本が、いつからこのような地獄みたいになったのか。どうしてこのように子供の生命を粗末に扱うようになったのか、どうして変わってしまったのだろうかと思う。

今から55年前、私が、18歳で運転免許を取る時、自動車学校の入校式で厳しく言われたことを覚えている。
 「君たちが小さい頃、日本は交通戦争と言われていた時代があった。その交通戦争では、多くの子供たちが交通事故で生命を落とすなど犠牲になった。今、君たちが交通事故に遭わず、元気に無事に成長したのは、偶然だけではない。これ以上、子供が犠牲になる社会であってはいけないという社会の動きがあった。当時の大人たちは、大人の責任として子どもを守るために努力を重ねてきた。君たちは社会から守られてきたということを知っておいてもらいたい。そして、君たちは無事に18歳を迎えている。そして、今度は君たちが、次の子供たちを守る番です。子供の生命を守れない社会は滅びます。運転免許を持つことは大人としての責任を持つことです。そして、大人の責任とは、何があっても子どもの生命を大事に守ることです。子供を守るのは大人の責任です。大人の責任をしっかり果たせるドライバーになってください」と言われたことを今でも覚えている。少なくとも55年前は「子どもを守れない社会は滅亡する」「子どもは宝」ということを私は聞いているから、日本ではどこでも子どもの命を大切にする社会の基本認識はあったように思う。

 今回の虐待について、ネットでは様々な意見が上がっている。私が見た一部を以下に記す。
「新しくできた認可保育所に勤め始めたが、新卒1、2年の保育士がほとんどです。寄せ集めの保育士が保育するから、子どもの月齢に応じた保育ができず、ヒヤリハットな毎日です」(埼玉・50代・保育士)
「急に保育園を多く作ったことで慢性的な保育士不足。それでも、しっかりと行事をこなそうとする園。21時まで残業して準備しても、手当などはありません。見栄えだけを良くする結果、保育士の負担が増えています」(沖縄・30代・保育士)
「私の働く保育園は認可にもかかわらず、法律で決められた人数が守られていません。園長に『無理です』とは言いづらく、2歳児18人を2人で見ることもあります」(西日本・保育士)
「息子が保育園で虐待に遭いました。近所のママ友や卒園生などからも証拠の証言を集めて市役所に相談しましたが、最終的な回答は『園側が認めないので、指導できませんとの事。何もできず泣き寝入りです。長男が卒園した園では、毎年先生の入れ替えが何人もあり、卒園した年は10人くらい辞めてしまいました。やはり、給与に見合わない仕事内容なんだと思います。経営のことはわかりませんが、新しい建物や園庭につぎ込むお金はあっても、保育士に払うお金は無いのでしょうか?この環境と待遇を何とかしてほしいです」(新潟県・保護者40代・女性)

今回の事件について、加害者である保育士の個人的問題と同時に低賃金を含め保育園幼稚園を取り巻く様々な問題を上げる意見も多く見られた。政府は「防衛費は次の世代に祖国を残すための予算」と言って防衛費の増税は当然と思っているようだが、宝であるべき子どもをまともに育てられないような祖国が残っても、その祖国の価値はないと思う。まず、「子どもたちの天国」という日本を作るために予算を優先的に施し、余力があれば防衛費に回すという選択をすべきである。そうしないと、「子どもの生命を守れない国は滅亡する」ということわざ通り、この国は外国に侵攻される前に滅亡してしまうのではないかと危惧する。

併せて、現在の日本では、園児の問題だけでなく、教育格差の問題も深刻である。良質な教育は裕福な家庭の子供しか受けられないという格差が明確になっている。教育に対して抜本的な対策が望まれる。教育という若者への投資は防衛費に先駆けて行うべきである。日本が生き残るには、死に金の防衛費の増額ではなく、教育という園児を含め若者への飛躍的な投資こそ必要である。