ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「西山太吉 最後の告白」を読む

 西山太吉氏は元毎日新聞記者で、1971年、沖縄返還に際してアメリカが日本に支払うべき400万ドルの補償金を日本が肩代わりする密約をスクープした方である。そのことで、西山氏は、国家のウソを暴いた唯一の記者と言われている。しかし、その取材方法が違法だとして国家公務員法違反に問われ、逮捕されて有罪判決を受けた。


 この著書の前書きで、西山氏は「2022年5月に返還50周年を迎えた沖縄は、今も米軍基地問題で揺れ続けている。その原因は、沖縄返還で日米同盟の姿、そして日本の国の形が根底から変わってしまったからです」と語っている。さらに、「岸信介の安保改定、佐藤栄作沖縄返還安倍晋三の安保法制定、この一族に共通する政治手法と我欲が、国民にウソをつき、自民党をここまで劣化させた元凶である」とも述べている。国民にウソをつき、日本の国の形を根底から変えてしまうというのはどういう意味なのだろうかという疑問で読み始めた。この著書を読み終えて、この一族に共通する政治手法によって日本は大きく変えられてしまったと思った。

 西山氏は沖縄返還当時、政治部記者として第一線で活躍していた。その当時の取材の話は大変興味深いものであった。西山氏の話の要約を記す「自由民主党55年体制の下、国会における議席数の2/3を占め磐石の体制で政権運営を行なっていたが、自民党内部は八つの派閥に別れ群雄割拠の状態であった。その中で池田勇人首相を中心とする池田派(宏池会)と岸、佐藤を中心とする佐藤派が力を蓄えていった。

 沖縄返還は、日本政治の戦後最大のテーマであった。沖縄戦の死者は約20万人で、そのうち12万人が沖縄県民であった。これは沖縄県民の4人に1人に当たる。沖縄は、太平洋戦争で戦場にされたあげく戦後も長く沖縄だけがアメリカの統治下に置かれ苦難の道を歩んできた。沖縄を本土に復帰させるのは政治家の使命でもあった。1960年に沖縄教職員会を中心とする沖縄県祖国復帰協議会が結成され、沖縄住民の粘り強い祖国復帰運動が行われ、ようやく政治が動いた。65年の佐藤栄作首相の沖縄訪問を経て、69年11月にニクソン大統領との会談が行われて、、72年の「核抜き本土並み」での返還がようやく決まった。
 しかし、もとをただせば、佐藤首相の前の池田首相の時から沖縄返還の取り組みは始まっていた。当時、池田内閣の外務大臣であった大平正芳アメリカのライシャワー駐日米大使と交渉を重ねていた。当時、アメリカの返還条件は「米軍による基地の自由使用」であった。「基地の自由使用」ということは、米国が自分の判断で、他国において国権の発動たる軍事行動を自由にできるということだから、これは独立国である主権国家としては決して認めることはできない条件であった。61年6月に池田首相は訪米してケネディ大統領と沖縄返還交渉を行なった。ベトナム戦争たけなわの時期であり、返還条件である「基地の自由使用」は変わらなかった。池田政権は「米国による基地の自由使用」を国民に説得できないとし、さらに国としても容認できないと考え、また、今の日本の政治力ではアメリカの条件を覆すことはできないと判断して帰国後、「沖縄返還は難しい。沖縄返還にはさらに時間が必要」と語った。

 池田首相の跡を引き継いだ、佐藤首相は、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り我が国の戦後は終わらない」という名セリフを吐いて、これを自分の手柄として政権維持の起爆剤にしようと取り組んだ。これが沖縄返還密約問題の発端となった。佐藤首相は自分の在職中に沖縄返還を実現するために期限を設けて取り組んだ。そのため、アメリカとの交渉は、いつもアメリカの要求通りに進めるしかなかった。基地の自由使用問題、核の持ち込み問題、返還条件として提示された巨額の財政負担問題など国民にとても納得してもらえない問題がいろいろと出てきたが、沖縄返還を自分の在職中に自分の業績として残したいという野望を持つ佐藤首相は密約をして交渉を進めた。都合が悪いことは表に現れないように交渉を行なった。核抜き本土並みということで沖縄返還は実現したが、実際は密約で覆い隠された返還であった。


 そのような中、アメリカ側が負担することになっている費用を日本側が負担するという密約をすっぱ抜いたのが、元毎日新聞記者の西山太吉氏であった。しかし、西山太吉氏はその件で逮捕された。西山氏はその後も裁判を続け、政府は密約はないと主張を続けてきたが、政府関係者から西山氏を擁護する証言などがあり疑いを晴らすことができた。西山氏の件は、権力に逆らうと罪を捏造してでも犯罪者に仕立てられるという実例となった。当時の佐藤首相は沖縄返還ノーベル賞を受賞した。また様々な密約を交わし、国民を欺き日本国に多大な損害を生じささせたことは不問にされたまま、現在に至っている

 岸、佐藤の兄弟首相、その一族である安倍首相、これらに共通する特徴は密約体質である。つまり、国民に対して真実を伝える覚悟と勇気がないということである。岸、佐藤政権の密約体質を引き継いだ安倍政権は隠蔽、改竄まみれの政治を行なった。まさにこの密約体質こそ自民党政治を劣化させた元凶である。

 密約体質が、宏池会のやり方と決定的に違う点である。宏池会は、自分たちの意見を相手方に伝え、相手方の意思を自分たちに還元し、交流して、そして相互に説得し相互に理解する。この行動の中から政治を生み出す。そういうことが宏池会の精神であった。宏池会にとって密約などとんでもないことである。

日本の政治に、宏池会精神を取り戻したいと思う。今になっては夢物語みたいな話かもしれないが、しかし、宏池会精神がついこの前まで、日本にも存在したのは事実である。岸田首相は宏池会の流れをくむらしいが、岸田首相が宏池会を名乗ることは宏池会を辱めることになる。汚さないでもらいたい。真に宏池会精神を持った政治家の出現を期待したい。