ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「おどろきの中国」を読む

 この本は、日本の社会学者である橋爪大三郎氏、大澤昌幸氏、宮台真司氏の三氏が中国という社会の原理について、中国の過去と現在について、さらに今後の日中関係などにについて語り合った鼎談である。私の住む長崎は、遠い昔には中国人が多く住み、中国と深い関係がある土地柄である。そして、その影響で今も、生活の中に中国の風習や習慣が多く残されている。そういう意味では、中国はとても身近な国である。私にとって、中国は親近感を抱く身近な国であるが、私はその中国についてほとんど何も知らない。知っていても断片的な知識でしかない。中国はどういう国なのだろう、中国と平和友好を続けるためにどうすべきだろうという素朴な疑問をいつも感じていたところ、この著書が目に入りおもしろそうだと思い読むことにした。そして、予想通り内容豊富なとてもおもしろい本であった。優秀な社会学者の視点は的確で納得できることばかりであった。広い視野で世界を見ると違った景色が見える。中国を見る場合その視点は欠かせないと思った。

 面白いと思ったことは随所にあるがそのいくつかを記す。
中国人の認知地図
江戸時代、武士は儒学を教養として身につけることが要求された。儒学は外国語であるから難しい。ネイティブの中国人に習えば理想的だが、せめて学力の高い朝鮮人に教えてもらおうと朝鮮通信使に指導を仰いだ。江戸時代は中国が先生で、朝鮮がクラスで一番の優等生、日本が勉強が遅れている生徒という感じであった。日本は中国や朝鮮にコンプレックスを持っていた。

 一方、中国は軍事力が強いから日本に攻め込んでいいと考えたことはない。元寇はモンゴルが攻めてきたのであって中国ではない。だけど、日本はこれまでに2回中国に攻め込もうと考えたことがある。豊臣時代と日中戦争である。このような仕打ちを受けた中国が日本へ不信感を持つのは当然である。

日本は中国から様々なものを学んだ。服装も文字も建築も社会体制も多くのものを中国から学んだその日本が欧米列強の真似をして中国を上から目線で見るようになった。その挙げ句、中国に侵略していった。これを例えてみると、ーーーさんざん頼まれて、昔、隣人にお金を貸してやった。その金で隣人は自宅を新築した。でも、礼を言うどころか、道ですれ違っても挨拶もしない。垣根ごしにこちらの敷地にゴミを捨てて、知らん顔している。とんでもないやつだ。そのうち隣人が死んで息子の代になったら、息子は、借金のことなんか聞いていない。なんの話ですかと言い出した。これって何だいと思うでしょう。戦後生まれの日本人が、自分たちは悪いことはしていないし、侵略戦争に責任もない。だいたい中国で何があったかよく知りません。と言う態度はやっぱり許せない。
イギリスが攻めてきたのと、日本が攻めてきたのとでは意味がまるで異なる。昔、助けてやった隣人が、いきなり裏切って攻めてきたのと、あまり付き合いのなかった遠くの異人が攻めてきたとの違いです。

 日本は米中関係の付属物にすぎない
まず、日本の選択いかんで、日米関係や、日中関係がどうこうできるとは思わないほうがいい。なぜかと言うと、中国は日本よりアメリカを重視しているし、アメリカも日本より中国を重視しているわけだからです。日本はキャスティング・ボートは日本にあるんだと思いたいだろう。せめて、アメリカから見た時、日本と中国が同じくらいに重要に見えてて欲しいと念じたいだろうが無理である。近代日本は明治維新のときに、列強目指してスタートした。ある程度まではその目標に近づいたが、本当の列強になることはできていない。そして、今は中国の方が本当の列強になってきている。そのことを前提に、日本はこれからの中国との関係、アメリカとの関係を考える必要がある。世界的視野で見ると、世界の大半の国々がアメリカ覇権の方がマシと考えて、凋落するアメリカ覇権につっかい棒を提供するだろう。日本も最終的には、アメリカ側について行かざるを得ない。しかし、アメリカ側につくということと、日常的に対米追従外交を続けることは区別されなければならない。現在の日本外交は、残念ながら、アメリカ側につくとしても、どのような追随の仕方がもっとも合理的かという判断や評価ができていない。

 日本がとるべき針路

米中が対立しているということから、その間で漁夫の理を得るというのが日本のポジションというのであれば、それはあまりにも情けない。A君とB君が喧嘩しているかぎりで、おれは大事にされているだけ。A君とB君が仲良くなったら、お前なんかいらないと言われてしまう。それは漁夫の利というより、死刑執行の猶予期間みたいなものである。そうならないために、一つの生きる道は、A君がB君と仲良くするにあたっては、C君とも仲良くなってしまう。あるいは、C君と仲良くなれば、B君と余計になかよくできるんだという状況をつくることである。

「おどろきの中国」を読んで、日本と中国の長い交流の歴史を見直すことができた。長く平和な交流の歴史の中に争いの時期もあった。日本が中国の隣人として生きるためには、過去の罪と未来の責任を踏まえた田中角栄周恩来合意に表明された意思を確実に受け継ぎ、永遠に日中友好を築いていかなければと思った。