長崎の神社11社を巡るスタンプラリーを仲間と一緒に行なっている。急ぐと1日で11社を巡ることも可能だが、私たちは神社巡りに合わせて近辺の山歩きなどもしながら、前回まで6社を済ませた。今回残りの5社を巡り、完歩して満願成就を目指す。私はバス、路面電車を乗り継ぎ定刻までに、今日の集合場所である諏訪神社の一の鳥居に到着した。
諏訪神社の一の鳥居を出発して、今日、最初に訪れる神社は「水神神社」である。水神神社の護符を身につけると川、海、湖、沼など災なしと伝えられている。また、昔、水源地も水道もなかった時代、日照りが続き農作物が育たなくなると雨乞いの行事がこの水神神社で行われた。その時、神官は神様に祈ると共に、神社にある河童石という霊石に自生している苔の色のつき方で降雨を占ったと案内に書かれている。整列して般若心経を唱和して参拝する。
水神神社の次は徒歩10分ほどのところにある「松嶋稲荷神社」に行く。松嶋稲荷神社の名前の由来はその昔、この一帯は松林で島の絵姿をしていたことから松嶋という名前になったという説があり、そのことから松島神社一帯は古くから松風の里と呼ばれていたと案内にある。稲荷神社は稲荷神を祀る神社である。稲荷神は元来は五穀豊穣を司る神であったが、時代が下がって、商売繁盛・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。般若心経を唱和して参拝する
「松嶋稲荷神社」を出て次は40分ほど歩いて「若宮稲荷神社」へ行く。古いお宮を若宮と親しまれている「若宮稲荷神社」は南北朝時代の忠臣楠木正成公の守護神(稲荷大神)を延宝元年(1673年)現在地に奉斎したと伝えられている。また、坂本龍馬が興した日本で最初の商社である「亀山社中」は当神社のすぐ近くにある。明治維新前後には当神社は勤皇稲荷と呼ばれ、坂本龍馬をはじめ長崎に来往する志士の多くが当神社に参拝して日本の新しい夜明けを祈願したと言われている。境内には坂本龍馬の像が建立されている。般若心経を唱和して参拝する。
若宮稲荷神社を後にして、次はひと山超えて次の目的地の八劔神社へ行く。風頭公園はその途中にあるので、風頭公園に立ち寄り景色を楽しむことになった。ここからは長崎港がよく見える。公園の一角に坂本龍馬の像が建てられ、石碑には司馬遼太郎の「龍馬がゆく」の一節が記されている。「龍馬は胸のおどるような思いをおさえかね、『長崎はわしの希望じゃ』と、陸奥陽之助にいった。『やがては日本回天の足場になる』ともいった」
風頭公園を後にして、次は八剱神社へ行く。八劔神社は長崎市内最古の神社と言われている神社である。永禄16年(1568年)日吉丸が織田信長の家来になった頃、創建されたと言われている。寛文元年(1661年)現在地に社殿を興して、小島郷の鎮守社となる。ここで、今日初めて桜を見る。カワヅサクラだろうか満開である。薄雲に覆われて空が白っぽいのが残念である。バックが青空であればもっと色鮮やかであっただろう。
次は、最後の八坂神社へ行く。八坂神社は1620年に今籠町に祭祀された天王社を起源とし、1626年京都祇園社の御神霊を合祀し、祇園宮延寿院として創建された。1638年現在地に遷宮され、明治維新の神仏分離に伴って、八坂神社と命名されたと案内にある。般若心経を唱和して参拝する。
参拝後、社務所へ行き、スタンプラリーの用紙に八坂神社のスタンプを押す。これで見事長崎11社スタンプラリー完歩である。そして社務所にそれを出して、結願印を押してもらう。
長崎11社スタンプラリー満願成就者は、11社参拝記念お守りがいただける特典がある。早速社務所で、この用紙を見せて特別なお守りをいただいた。表には「万事如意」すべての物事があなたの思い通りになる、「一路平安」道中の無事を祈ると刺繍されている。裏にはお参りした11社の名前が刺繍されている。これほど御利益のあるお守りはそんなにないのではと思う。有難い。無事に長崎11社スタンプラリーを結願できた。やり遂げられたことが嬉しい。毎年行われているようだが、私は初めての参加であった。いつまでできるかわからないが、毎年、できる限り続けたいと思う。