ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

七面山花見&烽火山登山

青点から赤点までのコース。距離約8.2km、最低高度24m、最高高度426m、総上昇高度460m、消費カロリー969kcal、天気晴れ、気温14度、湿度38%


長崎鳴滝の七面山妙光寺の桜がきれいに咲いているというニュースを聞いた。ここの桜は啓翁桜という品種の早咲き桜で有名である。その花見の見学に出かけた。そして帰りは、七面山から登山道が続く烽火山に登って妙相寺へ下山することにした。

 

スタート地点は中川町電停傍の一之橋の袂から歩き始めることにした。一之橋は1934年(昭和9年)にできた橋で来年は90歳である。原爆の被害も受けず現在も当時の姿のまま健在である。

 

 

シーボルト通りの案内に沿って進んでいくと洒落た煉瓦作りの西洋館が見えてきた。シーボルトは1823年8月に来日した長崎出島のオランダ商館医師である。彼はここ鳴滝の地で、私塾“鳴滝塾”を開設し、日本の若者に西洋医学を教授した。鳴滝塾跡地が今はシーボルト記念館になっている。

 

シーボルト記念館の前を通って30分ほど歩いてきたら、七面山駐車場に到着。本堂はまだまだ先であるが、ここから先は境内である。境内に入ると、満開を迎えた啓翁さくらがお出迎えしてくれる。

 

境内にはいろんな桜の木が植えられている。早咲きの啓翁桜をはじめ、枝垂れ桜、ソメイヨシノ御衣黄桜などいろんな品種、種類があり、早咲の啓翁桜が散ってもその次の品種が花開き、七面山の桜は長い期間楽しめるようだ。花見の先客が居たので挨拶したら、「この枝垂れ桜は私の母が植えたものです。ずいぶん大きくなりました。今年の開花を楽しみにしています」とおっしゃっていた。ここの桜は檀家さんが寄進したものも多いようだ。さらに、この時期、桜ばかりでなく、白木連の巨木が見事に開花していた。

 

啓翁桜と白木蓮の美しい姿を堪能した後、いよいよ、烽火山目指して登山を開始する。七面大明神七面堂の前を通り、右手に進むと烽火山という案内板を発見。その矢印に沿って進んでいく。最初はなんでもない普通の山道であったが、途中から道が険しくなり、さらに傾斜もきつくなる。一歩一歩踏み固めるようにして登っていくとロープ場に着く。これから先はロープを手繰りながら登っていく。足元の悪い急な上り坂は辛い。ロープに助けてもらいながら高度を上げていく。

 

急勾配のロープ場と格闘しながら進むこと約1時間、やっとの思いで山頂へ到着。この登山道は10年以上前に通ったことがあるが、その時はこれほど疲労困憊しなかったように思う。年を取り確実に体力が落ちているのがわかる。

烽火山は字の通り、昔、狼煙台が設けられた場所である。この丸い石垣は狼煙台の遺構である。この狼煙台は長崎港警備通報体制の中心的役割を果たすもので、緊急時には近隣諸藩へ情報伝達する狼煙が挙げられた。1638年(寛永15年)から1868年(明治元年)まで230年間使われ、その間1647年(政保4年)マカオ使節が来航した時と1808年(文化5年)イギリス軍艦フェートン号が不法入港した時に使用された。

山頂からの眺めはすばらしい。視界良好である。長崎港のみならず、長崎港外までよく見える。昔、烽火山で狼煙業務に携わった役人も、230年間、毎日この景色を見ながら過ごしたのだろう。この山は長崎港の出船入船を見続けてきた山である。そう思って港を眺めると感慨深いものがある。

 

烽火山の景色を楽しみ、小休止した後、下山する。下山は秋葉山と妙相寺方面へ下りることにする。下り道がわかりにくいが、木に巻きつけられた赤いテープを頼りに降りていく。急な下りではロープが架けられていて助かる。下りもロープに助けられて予定通り30分ほどで秋葉大権現神社へ到着。

 

秋葉大権現神社で小休止したあと、さらに十分ほど荒れた山道を下りていくと妙相寺へ到着。妙相寺の特徴の一つがこの石作りアーチ型山門である。妙相寺は紅葉の名所で、文人墨客がよく訪れた場所である。この石作りの山門とそこに鎮座している狛犬は妙相寺の風情をよく表していると思う。

 

妙相寺を後にして、本河内水源地に沿って進んでいく。そして15分ほど歩くと御手水バス停に到着。ここで本日の花見&烽火山登山を終了する。

今日の花見は早咲き桜満開であった。ソメイヨシノより1週間から十日早い開花である。しかし、見学者は少なかった。それは道路が狭くて車では行けない場所だからである。私も最寄りのバス停から30分歩いて行った。車も便利であるが、歩くことは健康に良い、また、今日のように良いものに出会える。久しぶりの登山で心地よい筋肉痛も味わった。歩くことの楽しさを再確認した1日であった。