ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「保坂正康さんの最後の講義」を見る

今日が人生最後の日なら何を伝えたいか?各界の第一人者が語る最後の講義というNHKBS番組を見た。今日の講師はノンフィクション作家の保坂正康さんである。保坂さんは、50年に渡り昭和史について、軍や政治の指導者から兵士に至るまで4000人を超える人々に直接会い、取材して歴史の真実を探り続けてきた方である。

保坂氏は次のように語りながら話を始めていった。
「今日の話のポイントで一番重要なのは、歴史とは何かということです。私は今83歳で、残された時間はあまりありません。残された時間で、私が次の世代にどうしても伝えたいことは「日本はなぜ愚かな戦争をしたのか?」ということです。愚かと言われる理由はどこにあるのか?愚かさの理由を具体的に伝えていこう、それが私の残された時間で次世代に伝えたいことです」
保坂さんは1939年札幌で生まれ、6歳で終戦を迎えた。大学卒業後、雑誌社に勤務した。結婚して子供ができ、子供が大きくなった時、戦争をどのように伝えようかと考えた。私たちの国が戦争をし、青年たちが南方の島々に送られ、なぜ、そこで死ななければならなかったのか、なぜ日本は戦争をしたのだろうか、戦争した時に兵隊たちは何を考えていたのだろうか、指導者は何を考えていたのだろうかなど日本が行った戦争について様々な疑問を持った。過去を知るには資料を調査することから始まるが、敗戦前、重要書類を焼却する指令が下されたため、ほとんどの資料が焼却されてしまった。なぜ燃やしたか、それは自分たちの責任が問われることを恐れたからである。
日本だけでも310万人の犠牲者を出した大戦、指導者は何を考えていたのか?保坂さんは、最も悪名高く記憶されている東條英機の評伝を書こうと思った。東條英機はこの軍事体制の首相、参謀総長などあらゆる権限を掌握した人物である。そして、軍人や閣僚経験者や当時存命であった東條英機のカツ夫人を含め東條を知る100人あまりの証言取材をもとに、「東條英機天皇の時代」を上梓した。資料が乏しい時代の歴史を探るために、証言から実証的に探るという手法は、これまでの資料中心の歴史像に一石を投じた。

その取材の中で感じたことを次のように語っていた
東條英機のカツ夫人に取材した時、『あなたのご主人は、日本がアメリカに宣戦布告する時、家族に何か話しましたか?』カツ夫人は次のように答えた『家族は何も聞いていない。ただ、12月6日深夜、東條の部屋から泣き声がするので、気になって、部屋のドアを少し開けて見た。東條は皇居の方に正座して泣いていた。カツ夫人は見てはいけないものを見てしまったと思い、すぐに戸を閉めた。東條は子供のように泣いていた』と語っていた。
泣くというのは日本の指導者の最後の手です。始まる時も泣いて、終わる時も泣いています。昭和20年8月15日に終戦を迎えます。敗戦を受諾した最後の会議が昭和20年8月14日に行われた。その会議で指導者は皆泣いている。私たちの国は、政治が理知とか理性とか合理的精神とか分別して行われるべきなのに、それを涙でごまかして

いくという弱さがあるのだと思う。泣いて、そして泣くという感情で時代と向き合う。だから、私たちの国の指導者は戦争というものも感情でしか見ない

太平洋戦争という近代史の証言取材の中には貴重な教訓がいくつかある。例えば、日本がアメリカと戦って勝てるわけはないということはわかっていた。戦前の日米比較調査でも明確に力の差があることが示されていた。しかし、戦争に突入していった。その根拠は、主観的願望を客観的事実にすり替えることであった。欧州戦においてはドイツがイギリスと戦っている。イギリスが負ければ、イギリスを支援しているアメリカは強力な同盟国の敗戦によって厭戦気分が起こり戦争を継続できなくなる。ドイツが勝つという主観的願望を客観的事実にすり替えて日本は戦争に突き進んだ。これが戦争を始めた時の日本の指導者の思考法であり日本の指導者の特質である。

国民への戦争への説明がなかったことも証言取材で明らかである。当時の指導者たちは調べれば調べるほど悲しくなるほど、大衆は愚昧である、大衆は無知であると語っている。本当のことを教えるとがっかりしたり、戦う気がなくなるから、本当のことは知らせるべきではない。我々が白と言えば白、黒といえば黒という強い姿勢で動けば国民はついてくると公然と首相官邸の会議で述べている。まさに国民を愚弄している。

最後に受講者からの質問に答えながら講義を終えた。                 「今日、歴史の話を聞くまでは、戦争は遠い過去の話と思っていました。戦争はすぐ近くで私たちの先祖も関わって起こっているとは思わなかった。このような歴史に無関心な若い人の考えを変えていくにはどうしたら良いかお聞きしたい」

「私たちはいつも前の世代の反映です。次の世代は前の世代の関心を受け継ぎ、消化して次の世代へ伝えていく繰り返しです。私たちの世代は、「お前たちは戦争行かなくていいからいいな。俺たちは朝から晩まで鉄砲担いで走り回った」と前の世代から常に言われてきた。これは、私たちに対する励ましであり、「絶対戦争なんかするなよ」という明確な忠告であった。そして、私たちの世代は前の世代の声をしっかり受け継ぎ、自分の身体の中に血肉化して、しっかりと次の世代に「戦争なんかするなよ」と伝えなければならなかった。しかし、私たちの世代は、次世代に伝えることに失敗したように思う。そして、十分伝えることができなかったのに、「若い奴らは何も知らねんだよ」とだけ言っている傲岸ささえ持っているのではないかと感じる。そういう会話の他にも、「日本も反省ばかりしていていいわけないだろう」という意見を言う人も中にいるから、もう一度日本の戦争の歴史を見直して、戦争というものはどういうものかという内容をよく整理して考える必要がある。そうすることで、戦争なんかこんなことあってはいけないということが出発点で、そして、絶対戦争はすべきでないという結論になっていくと思う。

私たちは次世代に歴史を伝えなければならない。歴史を継承することは闘いでもある。若い人が、皆さん一人一人が身近な人、お父さんやお母さんと歴史について話をするといろんな話が出てくると思う。そういうものを歴史の中の教訓として自分の胸に刻んで次の世代に教訓として伝えることをしてもらいたい。そうすることで、皆さんの次の世代にも伝わることになる。このようなバトンタッチが歴史を継承する基本精神だと思う」

保坂正康さんの最後の講義を聞いて、歴史を語り継ぐことの大切さを再認識した。私たちの国は80年ほど前、310万人の戦死者を出した国である。二度と戦争をしないと決意して今日まできたが、あの時の記憶は薄くなり、また二の舞を演じようとしているように思う。歴史を疎かにする国は何度でも同じ苦しみを味合うしかない。そうならないために、歴史をしっかりと見直したいと思う。