ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

前川喜平さんの講演を聞く

先日 保坂正康さんの最後の講義の中で、日本人は近代史をしっかり学ぶことが必要であるという話を聞き、確かにそうだと思った。天皇制国家から国民主権国家に変わったが、それは国民にとってどういう意味があるのか。民主主義国家をこれからも続けていくのかどうか国民一人一人が歴史を振り返り、自分たちの未来を決めていく作業は国民の義務だと思った。その意味で特に、若い人には義務教育においても高校教育においても学校でしっかり近代史を教えるべきだと思った。しかし、若い人にとって、歴史は入試の科目でしかない。しかも、近代史は入試に出ないため学校で深く学ぶことはないというような話であった。日本においては、近代史は学校で教えないようだ。このことは日本の教育上の大きな問題であると思った。現在の日本の教育はこれでいいのだろうかと疑問を感じていた時、たまたま、元文部科学省事務次官前川喜平さんによる「子どもたちが危ない〜いま、日本の教育は〜」というテーマで行われた講演をYouTubeに見つけた。これは昨年8月に京都で行われた講演である。興味を感じて講演を聞いた。

前川さんのお話は統一協会問題を含め様々な分野に及んでいたが、教育問題については自民党憲法改憲草案から話を始められた。

自民党憲法改憲案は非常に大きな問題がある。憲法は国家権力を縛るものである。憲法によって縛られている権力者が改憲すべきという改憲案を提出していることがそもそも問題である。

自民党改憲案の中身は、権力者が思い通りに自由にできるように憲法を変えると言っていることと同じである。例えば、現行憲法では日本は戦争はできないが、戦争できるように改憲しよう、また、緊急事態条項によって行政府が立法府も兼ねるように改憲しようとしている。これは独裁政権を認めることと同じである。これは1930年台のドイツで経験したことであり、議会制民主主義であったドイツにナチスという独裁政権が誕生した手法と同じである。ナチスを生み出した制度を日本に作るべきではない。

自民党改憲4項目の中に教育条項がある。自民党改憲でやりたい教育条項の主題の一つは教育理念を憲法に書き込むことである。これは大変危険なものである。例えば、伝統的国体観念を醸成する。日本の国体を尊重すること、国防意識を涵養する、国のために尽くす美徳の涵養などを教育の理念として憲法に書き込むことを意図している。憲法9条の改悪によって戦争できる国つくりをすると共に、合わせて戦争できる国民作りをすすめようとしている。そのような危険性がひしひしと迫っている。

安倍政権、菅政権、岸田政権で行われてきたこの10年間に特に政治による教育支配が強められてきた。この間、日本の教育政策は教育基本法の本来の精神に背くようなことが強引に進められてきたと言って良い。教育基本法は2006年に改悪され、愛国心を養えとか道徳を大事にせよとか学校では規律を重んぜよとかいう条文が書き加えられた。

日本における公教育の目的は、一つは『人格の完成』、一つは『平和で民主的な国家及び社会の形成者としての国民の育成』の二つである。自民党政権は教育の目的も変えることを意図している。人格の完成というのは、一人一人が独立した人格と自由な精神を持った人間として育つことが大事ということを意味している。この一人一人が独立した人格と自由な精神を持った人間として育つことが大事という人格の完成の対局にあるのが国家のために役に立つ人材を育成するという国家主義である。国家か個人かという時に個人より国家が大事というのが国家主義である。自民党政権改憲案は国家主義の方向に国を進めようとしているということから、改憲されると教育の目的も必ず変わることになる。

この10年間安倍政権などにより、歴史教育や道徳教育についても教育支配が強められていった。歴史教育については中学校、高等学校の歴史の教科書の記述を修正させる動きがいろいろと起こっている。歴史修正主義者と呼ばれる政治家によって教科書の記述に介入している。最近では、政府は従軍慰安婦と強制連行という言葉を使わないと閣議決定した。教科書の記述は政治的に決めてはいけないことで、あくまでも学問的見地によってのみ判断されるべきものである。文科省教科書検定を実施できる立場にあるが、その内容については政治的意図に基づいて行うべきでなく、あくまでも学問に照らして行うべきものである。政治的意図により学問を曲げることは憲法違反になる。2006年には沖縄の集団自決について、軍の命令や軍の強制があったことを全て書き換えさせた事例がある。都合の悪いことは無かったことにする動きがある。

道徳については、2018年に道徳の教科化がされた。教科化されたことで一番危ないと思うのは教科書の記述である。道徳教科書で常に強調されていることは自己犠牲の大切さであり、全体のために役立つ人間になれということが盛り込まれている。役に立つ人間がいい人間だ。場合によっては自分を犠牲にすることが美徳であるということが強調されている。『星野くんの二塁打』という小学生用の物語がある。少年野球チームの選手である星野くんがバッターボックスに立ったとき、監督が送りバンドのサインを出した。しかし、星野くんは絶好の好球を逃さずヒッティングして二塁打を打ちサヨナラ勝ちに貢献した。しかし、そのことで星野くんは監督から怒られた。監督の指示は犠牲バンドという送りバンドだったにも関わらずヒッティングしたことで怒られたという物語で、監督は星野くんを怒るときにこう言った『犠牲の精神のない者は社会に出ても役に立つ人間になれない』この道徳教科書では、役に立つ人間がいい人間だ。役に立つ方法として自己犠牲という方法が美しい方法であり、自己犠牲で全体の役に立つことが尊い生き方であると述べている。この自己犠牲の価値観を植え付けるための教材はとても危ないと思う。これと同じ考え方は特攻隊にも言えることで、自らの命を捨てて、お国のために役に立つという生き方、倫理観を植え付ける教科書が今現在使われている」

前川さんの講演を聞いて、日本の公教育においては、近代史を教えないばかりか都合の悪い真実は無かったことにする策動が行われているという話であった。しかも、民主主義教育から国家主義教育に変えられようとしているのだということを初めて知った。すでに日本の未来を担う若い人は特攻隊と同じような行動を取るよう仕向けられている。自民党政権は戦争できる国作りとともに、戦争できる人作りにも熱心に取り組んでいることがわかった。このような狂ったとしか言えない政権は落選させるしかないと改めて思った。