先日、前川喜平さんの講演を聞いていたらウクライナ戦争のことを語っていた。その中で前川さんは次のように語っていた。
「ウクライナ戦争から何を学ぶべきかということは大きな課題である。しかし、ウクライナ戦争から、日本では間違ったことを学んでいる人がたくさんいる。現に日本政府は、間違った認識の方に国民の世論を誘導しようとしている。政府の世論誘導に乗っかったために間違った学びをしているという人がたくさんいる。政府が行なっている間違った世論誘導は、「日本が第二のウクライナにならないためには、抑止力を持つべきだ。抑止力というのはすなわち、軍事力である。そのために今、軍事力である防衛力を増強する必要がある。軍事力を増強して、戦争できる体制を整えることが重要である」ということを喧伝している。国民の恐怖感と不安感を煽り、それに乗じる形で昨年12月に安保三文書をすんなりと通してしまった。国会では、本当に軍拡が必要であるかについては何も議論されていない。仮想敵国という中国や北朝鮮が本当に差し迫った危険なのか、仮に危険があるとして、軍拡が有効な対策なのかどうか何一つ議論されないまま、軍拡増税だけが議論されている。
ウクライナ戦争の報道から、改めて戦争の悲惨さ、非人道性を見せつけられている。ロシアはウクライナに侵攻して略奪、暴行、性暴力、虐殺など非道の限りを尽くしているという報道もなされている。戦争によって犠牲になるのは兵士だけでなく、犠牲になるのはいつも女性や子供である。戦争は絶対にしてはいけないと改めて思う。ウクライナ戦争は日本人にとってどのような意味を持つのかということを考えた場合、過去の日本が起こした戦争を思い起こす必要があると思う。プーチンのロシアがウクライナでやっていることと同じことを、過去の日本は韓国や中国大陸でやってきたという事実を考える場にする必要がある。過去の日本は、韓国や中国で略奪、暴行、性暴力、虐殺などあらゆることをやってきた。そのような、韓国や中国において犯してきた加害の歴史を、改めて思い出す機会にする必要がある。一方で日本人は被害も受けている。戦争で大変な目に遭った人がたくさんいる。兵隊も弾に当たって死んだ者より、病死したり、餓死したりして死んだ兵士が多い。いかに日本の兵隊が非人間的扱いをされていたかがわかる。虫けらのような非人間的扱いを受けた人間は他人に対しても虫けらのように非人間的扱いをする。他国で日本の兵隊が、鬼みたいに他国民を虫けらのように扱ったというのは自分が受けた仕打ちの裏返しである。日本ではアメリカ軍のB29による無差別爆撃が行われ、全国の都市が焼夷弾で焼き尽くされた。それによって多くの国民が犠牲になった。また、広島、長崎には人類初の原爆が投下され一瞬のうちに何万人という方が犠牲になった。戦争によって親を亡くし戦災孤児になった子供もたくさん出現した。浮浪者という子供達がたくさん出現した。子どもたちは生きていくために食べるものを拾うか、恵んでもらうか、さもなくば盗むしかなかった。戦後多くのストリートチルドレンが出現し、また多くの子どもたちが病死、凍死、餓死でなくなった。日本が起こした戦争は、日本が加害国であり、当時の大人はすべて加害者である。しかし、加害国の国民であっても子供はすべて被害者である。子供を戦争の被害者にしないようにするのは大人の責任である。
ウクライナ戦争から私たちは何を学ぶべきか、日本政府はウクライナのようにならないために、戦争の準備こそ必要と考えて、軍備拡張に邁進し、さらに、戦争できる国作りの改憲が進められている。これが日本政府がウクライナ戦争から学んだことであるが、これは決して学ぶべきことではない。ウクライナ戦争から学ぶべきことは、もっと長期的視野で、人類史的視野に立って、この地球上から戦争という暴力、不法な行為をどうしたらなくしていけるかということを考えることこそ、ウクライナ戦争から学ぶべきことである。
日本国は、先の戦争の深い反省のもとに1946年に日本国憲法を制定し、それによって生きることを決意した。それは、戦争放棄であり、戦力及び交戦権の否認である。憲法9条の中で、(1) 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めないとした。自衛のための軍備は独立国として認めるが敵を攻撃する軍備は認めないとしている。ウクライナ戦争から日本国民が学ぶべきことは、国際平和を達成するには、日本国憲法しか道はないということを学ぶべきである。日本国民にとっては学ぶべきことではなく、日本国憲法の心を思い出すこと、そしてそれに生きる決意を新たにすることである」と話されていた。
また、すでに国際社会では、日本国憲法のように生きた日本人がおられると話されていた。その人は中村哲医師である。中村哲医師はアフガニスタンで医師として活動しながら、戦争が続く地域で、戦争をしないで生きることができる社会作りに取り組みそれを実現した。中村哲さんの人生は、まさに日本国憲法を体現した活動であったと話されていた
私は前川氏の話を聞きながら、日本国憲法の心を思い出して、本当に大切にしなければと思った。第一次世界大戦までは、戦争は国際間で認められた国家の権利であった。長い人類の歴史の中で、1919年までは、戦争は国際紛争の解決の有効な手段として国際間で認められていた。しかし、人類は英知を集め、一方的な武力行使は認めないと決めて、現在に至っている。人類は間違いなく国際平和への道を歩み始めている。その国際平和への道すじを、平和を愛する諸国民とともに歩み、平和を求める国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。また全世界の全ての人々の基本的人権が尊重される社会の実現に全力をあげて取り組むことを誓うと日本国憲法で謳っている通り、これからも日本国は進むべきだと思う。戦争をしない国から戦争できる国へ変わるなどもってのほかである。戦争放棄を謳う日本国憲法を守っていくことが国際平和への道すじである。日本国憲法を大切にして進んでいきたいと思う。