ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

木原静玉さんの訃報に接して

 木原静玉さんの「静玉」は雅号で、本名は木原久枝さんである。木原静玉さんは手芸家で、1980年にアメリカのロスアンゼルスに手芸店を開き、以後アメリカで日本の伝統文化である日本の手芸の普及に尽力されてきた方である。私は、今から50年以上前の1970年代にアメリカに行き、約1年間アメリカに滞在した。その滞在中、木原さんご夫妻に大変お世話になった。その時以来のお付き合いである。その時からすでに木原さんはLAで手芸を教えておられた。木原さんは渡米以来今日まで一途に手芸の道を歩み続けられた方である。

 

 一年に何度か手紙のやり取りをしながら、お付き合いを続けていたところ、2013年、突然木原さんから「八十路のひとり言」という一冊の著書が届いた。これは、木原さんが80歳の記念に上梓された本であった。副題に「イ・ビョンホンとめぐり逢えて」とあり、前書きにその理由が書かれていた。イ・ビョンホンさんは韓国の美男子の有名俳優であり、木原さんの亡くなったご主人とよく似ていることから、木原さんはファンになったようだ。そして、イ・ビョンホンさんがアメリカに来た時に彼とお話する機会があって、「貴方と主人と私をテーマにした本を書きたいのですがお許しいただけますか」と厚かましくお願いすると、快く承諾してくださったので久々に力が湧いてきたと書かれていた。木原さんはこのように情熱的な人である。「八十路のひとり言」はご主人のこと、イ・ビョンホンさんのこと、そして手芸と共に歩んできたことなど盛りだくさんの楽しい内容であった。

 

 そして、2021年、突然また一冊の本が送られてきた。これが、八十八歳記念の二冊目の著書「伝統と昭和の手芸」であった。この著書は自分がやってきた手芸の道を一冊の本にまとめたもので日本語版と英語版の両方で出版されたものであった。中には、押絵、木目込み人形、水引、結び、組紐、手毬、つまみ、文香などさまざまな手芸の説明がなされていた。
 私は、送っていただいた日本語版「伝統と昭和の手芸」読みながら、この本を出版するにはどれほどの神経を使っただろうかとその苦労を思った。今回は、八十八歳の出版だから、ミラクルとしか言いようがない。木原さんのバイタリティーに驚くと同時に心からの拍手をお送りたいと思った。

 この本を読み、アメリカの地で、日本の手芸という伝統文化を伝え広める木原さんの情熱を感じた。木原手芸店を一番よく表しているのは、生徒代表の方が寄稿したまえがきであった。「アメリカに住むようになり近所を散策していると日本語で木原手芸店と書かれた大きな看板を見つけ、吸い込まれるようにドアを開けた先に、満面の笑みを浮かべた先生がいらっしゃいました。宝石箱のような手芸品に溢れたドキドキするお店、そして先生との出会いでした。あれからもう数十年。数え切れないほど手芸を教えていただきました。よく海外に住むと日本の良さが分かるといいますが、アメリカに住むチャンスがないと押絵や木目込み人形、つまみ細工などの日本の伝統的な手芸には出会えていないし、興味がわかなかったかもしれません。ましてや自分で作れるとは思ってもいませんでした・・・・」このような素晴らしい出会いが木原手芸店ではたくさんあったのだと思った。ガーデナー地区にいくつもあった手芸教室は、今では木原手芸店だけになってしまったと書かれていたが、木原さんは最後までこのようなお店を経営できて幸せ者だと思った。

 そして、2023年、90歳の誕生パーティーを古いお友達とお弟子さんが集まってやっていただいたという便りをいただいた。そのときの写真には、優雅な木原さんらしい綺麗なおばあちゃんの写真が同封されていた。また、背筋を伸ばして、日本舞踊を踊る写真まで同封されていた。

 その後、昨年暮れに体調を崩して入院したとか、退院したからもう大丈夫とかメールが入って心配したり安心したりしていた。また、4月になって本人からもう一度入院することになったが、そんな長くないと思うから心配しないでくださいというメールをもらっていた。そして、木原さんの友人の方から返信メールをもらった。「本人の具合は良くありません。着信メールを見て、代わって返信しました。」とあった。そして翌日、訃報が届いた。「本人の希望で、海に散骨します」と書かれていた。

 お世話になった木原さんが逝ってしまった。齢90歳である。木原さんとお話してきたことを思い出す。木原さんは長い人生の中で日本の敗戦や日本の貧乏時代とかを体験してきた。苦しいことも多くあった。しかし何より愛する人との苦しい別れがあった。最愛の息子さんは39歳の若さで癌に倒れた。また、最愛のご主人は17年前に癌で亡くなられた。そのなかでも、人生をまっすぐ歩んでこられたのは手芸家としての情熱であったように思う。木原さんは著書の中で、「母さんが夜鍋をして手袋編んでくれた」という「母さんの歌」の歌詞を引用して、手芸の心は手づくりの温かみであると説明されていた。手芸は人に対する温かい心を込めることだということを強調されていた。なんでも簡単に手に入れることができる時代になり、わざわざ、手芸で手作りしなくても簡単にきれいなものを手に入れることができる時代である。私たちは、確かにその便利さを得た反面、手作りの温かみを失ってしまったのではないかと思う。便利な時代に生きて、同時に人間としての心の温かみまでも失くしていないかと自問する。手芸の心は、時代がどんなに進歩しても、失わないようにしなければいけないと思う。手芸の心を多くの人に伝えた木原静玉さんは逝ってしまったが、その心は確かに受け継いで行きたいと思った。