ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「軽バンガール〜私がこの道を進むワケ」を見た

若い女性が改装した軽バンに乗って、日本全国各地を旅しながら仕事をしているという番組を見た。若い女性は26歳の佐藤眞理さんである。全国各地を仕事をしながら旅をするというのはどうしてなんだろうと思いながら番組を見た。

 眞理さんは、自分の人生を、普通に大学行って、普通に就職して、普通に結婚してというような人生になるんだろうなと思っていた。しかし、現在、26歳の眞理さんは、“ふつう”に軽バンで旅をしている。昨年の1月から6月は太宰府に住み、そこから唐津に行き3ヶ月住み、その後埼玉に行き2ヶ月住み、それから壱岐に渡り2ヶ月住んでいる。彼女はなぜ旅を続けるのか。そこには不透明な時代を生き抜こうともがくZ世代の葛藤がありましたとナレーションが流れていた。
 眞理さんは2021年4月大学卒業後、新卒会社員として東京で就職し、営業で外回りを続ける毎日を過ごしていた。会社員として就職し、結果を出さないと申し訳ないという気持ちと、もしかしたら自分にはこの仕事は向いていないのかなと思いながら働いていた。入社して間もなく、その生活に違和感を抱いた。場所と時間に縛られることに対しての拒絶反応をすごく強く感じた。月曜から金曜、週5日、毎日同じ時間に起きて、メイクして同じ電車に乗ってみたいな生活の繰り返し、それを繰り返すのは結構しんどかった。こういう生活を一生やっていくのは辛いと感じた。情緒が不安定になり体調も悪化し、入社からわずか4ヶ月で退職を決意した。仕事を変えるだけで解決する問題ではなかった。アパートも同時に引き払った。


 自分のことを誰も知らない、自分が行ったこともないどこか遠いところ行きたいと思った。退職後、たまたま目にした長崎県壱岐にあるゲストハウスの求人に応募して住み込みで働くことにした。都会の喧騒とかけ離れた自然豊かな土地で生活し、そこで、綺麗な景色を見て感動するという経験をした。そして、もっと楽しんで生きていこうみたいな気持ちになっていった。軽バンで旅をしながらフリーランスで働く生活が始まった。

 眞理さんはホームページの広告で流される画像などを作るウエブ広告デザイナーである。今の眞理さんの月収はおよそ30万円である。ウエブ広告の業務委託を受け生計を立てている。フリリモートでどこでも仕事していいといういう仕事だけを受けて仕事をしている。パソコン一つで仕事をしながら、好きな場所で生活を送るこのようなライフスタイルを実現させる人はデジタルノマドと呼ばれている。その数は年増加して、現在世界で3500万人以上いると言われていて、さらに10年後は数億人になるという試算もある。

東京を離れてもうすぐ3年、週に一度のペースで拠点を変えることもある。今回滞在するのは、北海道島牧村、今日から1週間、この村に滞在する。実はこの村の仕事を手伝うことで宿泊費や交通費が補助されるサービスを利用して訪れた。午前中は村の仕事をして、午後から本業のフリーランスの仕事をする。そして仕事に疲れたら雪に包まれた村を散歩をする。眞理さんが語る「幸せですね。静かだし、情報少ないし、全然気を使わなくていいし、こういうところにいる方が明らかに私が穏やかに生きている自覚があります」会社員時代に苦い経験をした眞理さんにとって、今最も大切にしていることは、自分に正直に生きるということである。
 ふつうに会社員として働くことは、みんなが普通にしていることであるが、私はものすごく苦痛に感じて続けることができなかった。私も、最初は、頑張れば、みんなが期待している自分になれるんじゃないかって思っていた。でも、実際に体調が悪化し、メンタルが壊れ私は物理的に無理なんだということがわかった。そして、諦めました。まっすぐ生きるというか、人の期待に応える人生をその時に諦めた。人の期待に応える人生とはどんな人生だったのだろうか。

 両親共に公務員の家庭に育った眞理さんは、小学校低学年から水泳やピアノや学習塾など習い事に時間を費やしてきた。お父さんの言うことをよくきいて、これを習った方がいいと言われれば「じゃあやる」みたいな子で、みんなと同じ普通の子だった。
 今の眞理さんの生き方について、両親に「どう受け止めていらっしゃいますか?」と尋ねると母親が口を開いた。「100%応援できない母親がいます。普通に大学を卒業して、普通に会社に勤めるだろうなって思っていました。エッ、ダメなの。なんでできないの?みんなやってるよ。みんな同じようなところで、みんな仕事しているよって思いました」父親は言う。「会社をすぐに辞めたことはがっかりですね。公務員が一番安心ですから、公務員への道を強く勧めてきた。そして、いい人生を歩んで欲しいと思っていた。いい人生というのは、結婚して、ちゃんとした家庭を築いて、子供がいて、孫がいてというごく標準的な人生です」

 最後に母親が言った「それでも、娘を見て、私も羨ましいと思います。自分の力を生かして、同じ場所じゃなく、どこでも自由に仕事ができるようになったのは、それはすごいなって親ながら思っています」

 コロナ禍に社会人になり、不安定なこの時代を生きる眞理さんは、決して悲観はしていない。「もし今より20年前に生まれていたら、私は引き篭もりと言われたり、自分の社会不適合さに絶望して色々とうまくいってないような気がします。たまたま、私が20歳頃にコロナ禍になって、働き方の流れが結構ガラッと変わった時代でした。それが、ちょうど自分の20歳くらいの年代に当たったから今こうやって生きられているなって気がします。良い時代に生まれたなと思っています。私にとってはラッキーだったのかなと思います。

確かに、20年前だったら、眞理さんは社会不適合で社会から排除されていただろうと思う。自分に正直に生きることが可能になったというのは素晴らしいことだと思う。自分がどのように生きたいのか自分に問い、自分のありのままに生きるというのは人生の質の問題である。人生の質を選択できることは素晴らしいと思う。