ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「歌集 滑走路」を読む

「歌集 滑走路」は2017年に32歳で急逝した若き詩人萩原慎一郎氏の歌集である。
氏は非正規をテーマに歌を詠んだ歌人として脚光を浴びたことがあり、氏の名前は知っていたが、「歌集滑走路」は読んでいなかった。読み終えて若くして亡くなられたことが本当に残念でならない。

 氏は1984年、東京都杉並区に生まれ、父親の仕事で京都や英国統治時代の香港などを転々とした後、東京都小平市に移り住んだ。1997年、男子中学御三家としても知られる中高一貫校武蔵中学校に入学し、野球部へと入部した。その野球部で怒鳴られ萎縮する様子をきっかけに、同級生からからかわれ始め、暴言や暴力が伴う苛烈ないじめへと発展し、そのいじめは中学校から高校と長期間に渡って行われ続けた。
その経験の中で、17歳の時、偶然近所の書店に出版イベントで来ていた歌人俵万智さんに触発され、短歌の創作を始めた。
◯これというものみつからず苦しみし十七歳は歌に出逢いき
◯屑籠に入れられていし鞄があればすぐにわかりき僕のものだと
◯ローランドゴリラが胸を叩きたり動物園の檻の絶叫、といった当時のいじめの経験を詠った歌も残っている。

様々なコンクールに応募を開始して、同時に頭角を表すようになり、まもなく現代歌人協会主催の全国短歌大会の選者賞や全日本短歌大会日本歌人クラブ賞を始めとする多くの賞を受賞した。当時、参加していた『塔』の2002年の結社誌「十代・二十代歌人特集」では17歳の注目の歌人として短歌と共に紹介された。2004年には同志社女子大学主催の高校生短歌コンクールのSEITO百人一首の入選作品をまとめた『ピクルスの気持ち』に掲載された。

武蔵高校卒業後もいじめによって負わされた後遺症に苦しみ、入院や通院をしながら早稲田大学人間科学部通信制に通い卒業した。大学生時代は短歌についての研究を行い、卒業論文は前衛短歌で知られる寺山修司についてであった。

大学卒業後は、書店のアルバイトや事務の契約社員など非正規雇用で働きながら短歌の創作を続けていた。2014年に第5回角川全国短歌大賞準賞とNHK全国短歌大会の第1回近藤芳美賞の選者賞を受賞。2015年、朝日歌壇賞や全日本短歌大会毎日新聞社賞を受賞。翌年、2016年にはNHK全国短歌大会にて作品が特選に選ばれ、また全日本短歌大会で2回目の日本歌人クラブ賞を受賞した。2017年に2度目となる近藤芳美賞選者賞を受賞した。
非正規 箱詰めの社会など
◯ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる
◯非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ
◯非正規の友よ、負けるな 僕はただ書類の整理ばかりしている
◯疲れていると手紙に書いてみたけれど僕は死なずに生きる予定だ
◯今日という日を懸命に生きてゆく蟻であっても僕であっても
◯牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ
◯箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
◯どっかーんと爆発をしたそのあとじゃ遅いのだけど再稼働する
◯屋上で珈琲を飲む かろうじておれにも職がある現在は
自転車の空気
◯眠るしか選択肢なき真夜中だ 朝になったら下っ端だけど
◯夜明けとは僕にとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
◯頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

2017年に『歌集 滑走路』の出版が決まり、5月には執筆が終わり、あとがきの原稿を編集部に提出した。本のタイトルや表紙、構成は自ら全て決めていたとされる。しかし、長期間いじめを受けてきたことに起因する精神的な不調が続いており、2017年6月8日に自死した。享年32歳。
「歌集 滑走路」は念願の初出版の歌集になるはずであったが、急逝のため2017年12月、痛恨の遺歌集として出版されたものである。
「歌集 滑走路」には悲鳴に似たような歌ばかりが並んでいるわけではない。現代の青春がいかに多くの困難を抱え、その息苦しい現実に押しつぶされそうになりながらも、何とか立ち上がろうとするこころを詠んでいる。そして苦しみを抱える友に、頑張れ、あとは翼を手にするだけだとエールを送っている。
言葉と言葉
◯きみからのメールを待っているあいだ送信メール読み返したり
◯遠くにいるきみと握手をするように言葉と言葉交換したり
理解者
◯なにかしら理由があって流れ出すなみだを拭うためのハンカチ
◯理解者はひとりかふたり でも理解者がいたことはしあわせだった
◯生きているというより生き抜いている こころに雨のきおくを抱いて
◯おもいきり空に向かって叫ぶのだ 短歌が好きだ あなたが好きだ
滑走路
◯真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい
◯きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい
◯ヘッドホンしているだけの人生で終わりたくない 何か変えたい
◯今日願い明日も願いあさっても願い未来は変わってゆくさ

若くして多くの賞を得て、将来を嘱望されていた氏は、それでも自死してしまった。ご家族の話によると、氏はこの歌集の完成を楽しみにしていて、様々な方に届けたいと言っていたと書かれていた。間違いなく多くの方のこころに届く歌集である。