日本の名目国内総生産(GDP)が2025年、インドに抜かれ、世界5位になる見通しとなったというニュースを見た。
日本は1968年に当時の西ドイツを抜いて米国に次ぐ世界2位の経済大国に浮上した。その後、バブル崩壊の不況などを経て、2010年に中国に逆転されて3位に転落した。さらに、2023年にはドイツに抜かれ4位に転落し、そして、2025年にはインドに抜かれ、世界5位になる見通しとなったということである。この地球上には大小180カ国以上の国があり、その中で、まだ5位だから大丈夫という見方をする人もいるが、一人当たりGDPランキングで見ると悲惨である。最新の一人当たりGDP国際比較は38位となり、もちろんG7では最下位である。
よくもこれだけ国力が低下したものだと思う。狭い国土で、資源も何もない日本が、低下した国力を回復するには、教育にさらに力を入れて優秀な人材を育てていくしか道はないという思いになる。実際に、戦後の復興を成し遂げたのは貧しい国家予算から教育に力を注ぎ人材を育てたことが大きな力となった。
ところが、世界の公的教育費対GDP比率国別ランキングのデーターを見て、日本の教育予算の貧弱さに改めて驚いた。日本の公的教育費はGDP3.24%で世界132位であった。ちなみに、G7ではフランス、アメリカがGDP比率5.43%で40位、イギリスが4.96%で51位、ドイツが4.54%で77位、イタリアが4.22%で87位、カナダが4.14%で90位であった。日本はもちろんG7において最下位であった。日本の隣国である韓国はGDPの4.87%で61位、中国はGDPの4.02%で101位であった。
日本はGDPの3.24%であったが、世界の先進国は少なくとも4%以上を自国の教育に投資していることになる。日本があと1%上乗せすると4.24%になるがこれでやっとG7のイタリアカナダに追いつくことになる。日本の2023年度のGDPは円換算で591兆4820億円であった。この1%は5兆9100億円である。決して日本の国家予算から不可能な数字ではない。これはこの国の統治者の政策によってでどうにでもできることだと思った。
そういうなか、内田樹氏が教育について次のように述べていた。
「今回の自民党総裁候補者9人のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院卒である。ということは、自民党に限って言えば、最終学歴がアメリカであることがどうやらキャリア形成の必須条件だということである。私の知る限りでも、日本の富裕層の中では中等教育から子供を海外あるいは インターナショナル・スクールに送り込むことが普通になってきている。その方が英語圏の大学に進む上でアドバンテージが大きいからだと説明された。『グローバル化の時代なんだから、レベルの高い教育を受けるために海外に出るのは個人の自由だ。横からがたがた言うな』という人もいるだろう。だが私はこういう傾向は端的に『良くない』と思う。
ハーバード大学の学費は年間5万6550ドルである。日本で円で800万円。生活費を入れると年間1000万円以上を支出できる家庭の子供しかアイビー・リーグに留学することはできない。このハードルを超えられるのは、日本国民の数パーセントにも達しないだろう。ご存知の通り、日本の学校教育への公費支出のGDP比率は久しく先進国最低レベルである。高等教育機関の私費負担割合は、日本が64.5%、OECD平均は29.9%である。要するに日本の政府は『高等教育については自己責任で(お金のある人は良い教育を、ない人はそれなりに)』という方針で教育政策を実施しているということである。
自民党総裁候補者たちが明らかにしたとおり、彼らがアメリカで高等教育を受けたのは、その学歴が日本に帰ってきてから支配層に駆け上がるための捷径だと思ったからである。だが、これは典型的な『植民地人』の振る舞いである。
明治維新のあと、先人は日本人が、日本語で高等教育を行なえる高校・大学を短期間に作り上げた。彼らは『教育はアウトソース(外部委託)してはならない』ということ、高等教育を自国語で行えることが植民地にされないための必須の条件だということを知っていた。今でも母国語で大学院教育が行われ、母国語で書いた論文で博士号が取れる国は決して多くない。日本はわずか1億2500万人の母国語話者しか存在しないにも関わるず、それができる例外的な国の一つなのである。
だが、いま支配者層たちが進めているのは『グローバル化』という看板の下での『高等教育のアウトソーシング』である。『海外にレベルの高い高等教育機関があるなら、何も高いコストを負担して国内に作る必要はないじゃないか』と彼らは考えている。お金持ちはそう考えるのである。そうすれば経済格差が教育格差を経由して、自動的に階層格差を再生産するからである。『下から』這い上がって、彼の地位を脅かす若者たちは制度的に排除できる。確かに合理的な考えである。けれども、ここには致命的な過誤がある。
19世紀アメリカでも富裕層は公教育の導入に反対した。我々の子供の競争相手を育てるためになぜ税金を投じなければならないのか。貧乏人は自己責任で教育機会を手に入れろ、と。一理はある。けれども、もしその理屈に従っていたら、アメリカは今も後進国のままだったろう」とあった。
高等教育を自国語で行えることが植民地にされないための必須の条件であるということを踏まえた場合、決して教育のアウトソーシング(外部委託)はすべきではない。教育に予算を投入することは国を維持するために必要なことである。経済格差を通して教育格差を生み出し、自動的に階層格差を再生産する政策はすぐにやめさせなければと思う。教育政策を見直す政党の実現を急がねばと思う。