ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

ノーベル平和賞授賞から考える、核廃絶の覚悟

 私は被団協とは全く関係ない部外者であるが、それでも被団協がノーベル平和賞を受賞したことは、大変嬉しかった。新聞報道などを見ても有識者と言われる方がお祝いのコメントを寄せているのをたくさん見た。しかし、ネットでは必ずしも受賞を喜んでいる人ばかりではなかった。授賞に疑問を感じている人も反対する人もいた。授賞についての疑問や反対意見を読んで改めて、核廃絶被爆国日本の目標ではなく、被団協の目標であることを改めて感じた。

 確かに日本政府は、安全保障上アメリカの核の傘に守られているという観点から、核廃絶には消極的である。口では核廃絶を言うが、そのための取り組みはアメリカに遠慮した対応しかとっていない。
 2017年7月、ニューヨークの国連本部で、122ヶ国が賛成して、「核兵器禁止条約」が採択された。これはすべての国連加盟国(193の国と地域)の3分の2近くになる数であった。一方で、核兵器保有している、ロシア、アメリカ、中国、フランス、イギリス、パキスタン、インド、イスラエル北朝鮮の9か国と、保有国の「拡大核抑止(核の傘)」の下にある国々などは2023年時点ではこの条約に参加していない。そして、2021年1月22日に、批准国が50か国を越え、「核兵器禁止条約」は新たな国際法として発効した。そして、2022年の第1回目の会議では、従来からアメリカの核の傘の下にあるとされるオーストラリア、ドイツ、ベルギー、ノルウェーなどがオブザーバーとして会議に参加した。いずれの国々も条約には加入していないが、核兵器廃絶への歩みを共にすすめられることが期待されている。日本も唯一の被爆国としてオブザーバー参加が世界から期待されたが、日本はオブザーバー参加さえも拒否して現在に至っている。

 そう言う状況の中、ネットで様々な意見が掲載されていた。
 「日本被団協の人がノーベル賞が決まって喜んでますが、そんなにうれしいですか?ノーベル平和賞って一番意味不明な賞なのにそんなの授与されてうれしいですか? ノーベル賞の権威を振りかざして政治利用しないか心配です」
 この方の意見は何を根拠にしているのか明確ではないが、日本へのノーベル平和賞は1974年に佐藤栄作元首相が受賞している。その佐藤栄作氏のノーベル平和賞を指しているのであれば、理解できることもある。佐藤栄作氏は「核を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を日本の国是とした方である。そして、非核三原則を国是として東南アジアの平和構築に貢献したと評価されてノーベル平和賞を受賞したが、後年、日米の公文書が開示されるにつれて、その欺瞞性が明確になった。「非核三原則はナンセンス」「持ち込ませずは誤りだった」佐藤氏の口からこんな言葉が発せられていたことが判明した。そして現在、一部政治家からは非核三原則の見直し論が聞かれ、石破茂首相も核の共有を表明している。日本人へのノーベル平和賞は間違いだったという批判も起こった。

 「私は日本被団協ノーベル平和賞に選ばれたことを疑問に思った。私はそれが彼らにとって全くふさわしくないことを知っている。 なぜなら彼らは日本の軍隊によって引き起こされた膨大な死について無視することを試みているからだ。もしアメリカが原子爆弾を使用する決断をしなかったならば、より多くのアメリカの若者たちが戦死したことは明白だ。その事実と日本の被害を比較することは非常に困難だ。彼らは被害者ではなく加害者に属している。なぜなら日本の侵略はアメリカのみならず、多くのアジアの国々に対しても行われたからだ。原子爆弾の非人道性を訴えることだけでは、平和について真剣に考えることに十分ではない。 あなたはどのように考えますか」
 この意見については、日本人は真剣に考えなければならない問題だと思った。この問題についての日本政府の基本姿勢は加害の歴史を直視することはできるだけ避けようとしている。その結果、日本人の多くは義務教育で近代史を学ばないし、加害の歴史もほとんど知らないまま社会に出ることも多い。しかし、被団協の姿勢は日本国政府の姿勢と違って、加害の歴史を踏まえてノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキを語っている。因果応報の如く、日本が加害の歴史繰り返した結果、その報いとして原爆にあったというヒバクシャもいる。日本が原爆を受けたことをアジアの人々や世界の人々が歓喜したこと、二発では足らないもっと多く日本に原爆を落とすべきだという声が世界にあったことも被団協の人たちは知っている。彼らはその加害・被害の歴史を踏まえて、声をあげている。その声は「許さない」でも「覚えておけ」でもない。ひたすら「ノーモア、繰り返さないで」と訴え続けてきた。「ノーモア」は人類の未来に向けた願いだ。だから、世界の言葉になった。

 しかし、今の日本では、核廃絶を主張すると「お花畑もいい加減にしろ」という批判も受ける。昨年の広島サミットでは岸田元首相は核抑止論を認める発言をした。核廃絶ではなく核兵器を評価したのである。周りに核武装している危険な国があるのだから、核の傘に守ってもらうか、核保有するしかないではないか。核廃絶で安全が保てるかと言う意見である。日本では核の傘ではなく、日本自らが核保有すべきと言う意見さえ聞こえるようになってきている。このまま、行くと、日本は核武装する国に進む可能性も高い。

 核保有の道か核廃絶の道か、全ての日本人は今問われている。日本人の覚悟が今問われていると思った。以前、白井聡さんは核廃絶について次のように語っていた。
 唯一の被爆国として、核廃絶を目指すのであれば覚悟をしなければならない。その結論はシンプルである。その覚悟は、核を使うくらいなら、使われる方がましという覚悟である。世界で唯一の被爆国の国民として、人類の未来のために、私たちは真剣にこの問題に答えなければならない。その覚悟が今問われている。