ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「フランス人記者、日本の学校に驚く」を読む その1

 西村カリンさんの著書「フランス人記者、日本の学校に驚く」を読んだ。西村さんは著書のタイトルに書かれているようにフランス人の記者の方である。日本に来て20年になる。カリンさんは日本人男性と結婚されて、二人の男のお子さんがいる。そして、二人のお子さんを日本の公立小学校に入学させた。この本はフランスの義務教育を受けてきたカリンさんが、子どもさんに日本の義務教育を受けさせることで知った日本の教育について感じたことを記した本である。著書の中でカリンさんはどちらの教育にも素晴らしい点と改善点がある。これからグローバル化がますます進んでいくだろう。お互いが意見交換して、教育を、学校をより良いものにしていければという思いを込めて書いたと記されていた。参考になることが多い本であった。著書の一部を記す

 カリンさんが、最初にフランスとの違いを感じたことの一つが学校から届いた「学校評価アンケート」であったと書かれていた。

「『学校評価アンケート』には、次のような質問があった。
 『自分の子供に社会や学校のルール・マナーに従うことを教えていますか?』これに対して、4つの回答があらかじめ用意されていた。『とてもそう思う』『そう思う』『あまり思わない』『まったく思わない』
 もしそこに、具体的なルールやマナーの事例が書かれていたら、内容に応じてそれに従うことの大切さを教えるかもしれない。でも、ルールの中には全く無意味なルールもある。その場合、そのルールに従えと子供に教えることは、むしろ悪影響だ。どんなルールか、どんなマナーかが重要なのであり、ルールに無条件に従うことが良いとは決して思わない。だから、この質問に対して、選択肢で答えるのではなく、自分の思うことを文章で書きたいと思った。
 ところが、そのような回答欄はない。この質問に対して『あまり思わない』『まったく思わない』に◯をつける保護者はどのくらいいるだろうかと思った。学校が期待する答えを察して、『そう思う』に◯をつける人もいるのではないかと思った。
 さらに、このアンケート結果がどのように使われるのかにも疑問を持った。公的な調査のデータとして記録に残り、それを無責任なマスコミが『調査によると、8割の親がルールやマナーに従うことがよいと考えています』などと報道するかもしれない。息子を日本の小学校に入学させて、まず感じたフランスとの違いはこのアンケートであった。

 フランスの教育の強みは、アドリブのできる人を育てることである。ここは重要なポイントで、アドリブができることは『議論』ができることでもある。
 議論することは、互いに批判しあうことではない。自分の意見があって、他人の意見がある。それを表現し、やり取りすることが議論だ。議論では、相手の言うことが事前にわかるはずなどない。何を言われてもそれに答えられること、それがアドリブなのだ。トレーニングせずにアドリブはできない。フランスの学校ではアドリブを学ぶ。
 日本の政治家にインタビューを申し込むと、事前に質問内容を伝えておかないと答えられない政治家が多い。フランスではあり得ないことである。フランスでは事前に質問内容が伝えられることはなく、それにその場で答えなければならない。それでも、わからないとは言えない。答えられなかったら、『あなたはなぜ大臣になったのですか』と追及されるだけである。

 フランスの学校では議論を教育の基礎に置いている。なぜなら『代表制民主主義』の制度は、効果的な議論を通じてのみ命を帯びるという考えによる。『議論の仕方を知る』ことは教育における重要なスキルである。

 議論の目的は意見交換だ。何に基づいた意見なのか、その根拠はどこにあるのか。データであったり、読んだ本であったり、あるいは聞いた話であったり、あらゆる経験であったり、自分が収集した情報を元に議論する。情報を集める過程で、疑問点をあげ、考えを深めていく。単に『私はこう思っている』と主張するのが議論ではない。
 議論を学ぶ目的は優れた営業マンや宣伝マンを育てることではない。何かを学ぶ過程で、議論しながら 新しい発想や考えを生み出していくことが目的だ。人間は働く生き物であるだけでなく、考える生き物だ。どのような人間を育て、どのような社会を目指していくか。議論しながら新しい発想や考えを生み出すことができるもっと高い目標に向けての人材育成がフランスの目指す教育である」と語っていた。
 

 息子さんの日本の公立小学校への入学を通じて日本の小学校を体験して、フランスの小学校との違いがあれこれ書かれていた。

 「学校評アンケート」については、私たち日本人は、カリンさんと違って、真剣に深く考えないで回答するだろうと思った。真剣に深く考えないで、疑問も感じないで、自分も気づかないうちに忖度して「そう思う」に回答しただろうと思った。カリンさんの意見を見てカリンさんの意見が当然だと思ったが、私たちは意見を言わないことに慣らされているのだと改めて思った。また日本とフランスの違いの一つが議論ができる人材の育成に力を入れるか入れないかの差を感じたということであった。日本の学校しか知らないとその違いはわからないが、新鮮な驚きであった。