先日、連れ合いと用事で街に出かけた。外出は車で出かけることが多いけれど、今回は、目的地の駐車場がいつも混んでいるということなので、自家用車ではなく、バスと路面電車を使って行くことにした。バスに乗車した時は、乗客は少なく余裕を持って私たちは座席に座ることができた。そして、予定のバス停でバスを降り、路面電車に乗り換えるため、少し歩いて電車の停留所へ行き、電車の到着を待った。
程なくして、電車が来たので乗車した。電車は満員ではないが、空いている座席は少なかった。私の連れ合いはタイミング良く、空いていた最後の席に着席した。連れ合いが座った横には白人の若い女性が座っていた。私は連れ合いの前に吊り輪を持って立った。そしたら、連れ合いの横に座っていた白人の女性が急に立ち上がり、私にどうぞと自分が座っていた席を私にすすめてくれた。外国の方が笑顔で私にどうぞとジェスチャーで「座ってください」とすすめてくれた。
その外国の女性は、私たち高齢夫婦が電車に乗ってきて一人だけ座るのではなく、二人とも座った方が良かろうと思い私に席を譲ってくれたようだ。思いもかけない彼女の突然の申し出に、私は思わず英語で、“No No thank you. I am too young.”と英語で答えて辞退した。そして、彼女は私の辞退を受けて自分の元の席に座って電車は動き出した。私はしばらくそのまま吊り輪を掴んで立ってていたが、お客さんの乗車で車内が混雑してくるにつれて、私は立つ位置を移動して前に進んだ。そして降車駅でそのまま降車した。
電車を降りて考えた。外国の女性はせっかく席を譲ってくれたけど私は断った。彼女は傷ついていないだろうか。私は女性の申し出を断っただけで、譲ってくれたことに対しての感謝の言葉を言わなかったことを悔いた。
あの時、外国の女性は知らない他国で、高齢者が自分の前に立っていることから、勇気を出して席を譲ってくれたのに、私はそれを断わった。女性は、善意で行ったことが受け入れられず戸惑ったのではないだろうかと思った。断ったことはともかくも、譲っていただいたことに対して感謝の気持ちを述べるべきであったと思った。感謝の気持ちを何も言わなかったことは大きな失敗だったと思った。あの時、「有難う。でも大丈です。すぐに降りますから」とか。「有難う。私は立つことで体を鍛えています。ご親切は感謝します」とか、断るだけでなく感謝の気持ちを表すべきだったと反省した。
この程度の会話だったら中学校英語で表現できるし、今の私には十分可能なのに、断るだけで、「ご親切有難うございます」が言えなかったことは大きな失敗であった。なぜ言わなかったのだろうかと考えると、それは英語を話すことについて、自信がないと言うことなのかもしれないと思った。
私は、英語、中国語、韓国語の3カ国の言葉を今勉強している。どの言葉も、挨拶など日常会話ができるようになりたいと思って始めたものである。学生時代の年数を含めると英語が一番長く勉強していることになる。一番長く勉強している英語でも中学校英語さえスムーズに発揮できないようだ。中国語、韓国語はもっとレベルが低いのは明らかである。語学の学習については実際に活用できるようにすることを目標に取り組まなければいけないと、今回の出来事を通じて実感した。長崎も外国人が多い。語学学習に真剣に取り組みたいと思った。