受賞演説で田中さんが、強調して話した下記の部分が話題になった。
「1994年12月、『原子爆弾被害者に対する援護に関する法律』が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみ続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。」
新聞の解説記事を読むと、本来、原稿は「原子爆弾被害者に対する援護に関する法律』が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみ続けてきています」と草稿には書かれていたが、田中さんはさらに草稿にない言葉「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。」を付け加えて演説した。正面を見据えみ、力強い言葉だったと書かれていた。
このことについて、田中さんは演説後の取材において、「国が補償することに、どんな意味があるのかを感じてほしかった。なぜ、国は一貫して拒否するのか。戦争の時に亡くなる命はゴミと同じなのか」と怒りを隠さないと書かれていた。被団協の運動目標は二つある。一つは「核廃絶」運動であり、一つは「被害者救済のための補償獲得」運動である。補償については、日本政府の「戦争の被害は国民が受容しなければならない」という受容論の主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償わなければならないという運動である。
長崎新聞の評論に一被爆者の言葉が掲載されていた。
広島で被爆し、身内を原爆で亡くし、自身も原爆症を患いガンと闘い続け、2002年に69歳で亡くなった近藤さんの言葉である。近藤さんが涙ながらに訴えていた「まどうてくれや」という言葉が忘れられないと書かれていた。「まどう」には「償う」という意味があるが、近藤さんが使う「まどう」には特別の思いが込められていた。原爆投下という戦争犯罪に二度も手を染めた米国、その米国との無謀な戦争に踏み切り塗炭の苦しみを市民に強いた日本の指導者、被爆者の求める国家補償に応じなかった戦後の歴代政権。近藤さんは、原爆の当事者に「まどう」ことを生涯求め続けた。それは単なる言葉での謝罪や金銭的な補償などでは毛頭ない。全ての被爆者を被爆以前の心身に戻してほしい。それができないなら、原爆投下に行き着いた過ちを全面的に認め謝罪と補償の証として、核兵器を廃絶してほしい・・・・。これが近藤さんの言う「まどい」であった。
田中さんが日本国を批判したことは、近藤さんの「まどうてくれや」という思いと同じであると考える。これは全ての原爆犠牲者の声だと思う。しかし、日本国は巨額の償いや戦争責任が蒸し返されることの抵抗感から「受容論」を掲げて民間の被害者への国家補償を否定した
受容論という言葉を聞いて、2015年に自民党の元武藤貴也衆議院議員が、集団的自衛権などの戦争法案に反対する学生たちに対して「戦争反対、戦争に行きたくない」と学生が主張しているのは、自分中心の極端な利己的考えであると非難していたことを思い出した。戦争反対を主張することは平和憲法を持つ日本では当然の主張であり、平和憲法を持たなくとも人類としても当然な主張と思うが、それを利己的と言われたのは理解できなかった。武藤議員は公的な機関である国が決定したことに個人が反対するのは利己主義だと主張しているようだが、日本国憲法の、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を無視した考えだと思った。このような人物が自民党にいることを考えると、受容論などとても受け入れるべきではないと私も思った。
この受容論に抗う運動は国民にとって、絶対に譲れない運動である。なぜなら、戦争を起こし、遂行した国が補償しないとなると、以前そうであったように、安易に戦争に踏み込む恐れは拭えない。国家補償を求めることは核兵器も戦争もない世界の人間社会を求め、実現していくための道だと思う。被団協の思いを私も受け継ぎたい。