
「底が抜けた国」を読んだ。帯には、「政治の腐敗や堕落を止める『自浄能力』が働かなくなり、倫理の底が抜けてしまった日本社会。自己利益優先の思考が政界・官界・財界・大手メディアの内部に広まり、先進国から野蛮な後進国へと転落した日本。後世の日本人から厳し批判の目を向けられるであろう現代日本をさまざまな視点から構造的に分析し、改善と再生への道を探る」と書かれていた。
内容は、次の三章に分類して議論が展開されていた。
第一章 平和国家の底が抜け、戦争を引き寄せる自民党政府、
第二章 倫理の底が抜け、悪人が処罰されなくなった日本社会、
第三章 公正の底が抜けても不条理に従い続ける日本国民
どの章も緻密な取材をもとに密度の濃い説得力のある議論が展開されていた。その中でも、今後の日本再生に不可欠な要素としてのジャーナリズムについての指摘は特に気になった。ジャーナリズムについての指摘は「第二次安倍政権から繰り返される政治部の与党追従報道と国会における詭弁の氾濫」の項目に書かれていた。その要約を次に記す
「健全さを保った民主主義国家では、政治腐敗が発生した時は、社会的な自浄作用が働いて、腐敗した権力者は失脚し、政治腐敗に歯止めがかかる。その社会的自浄作用に特に重要な役割を担うのが、検察とジャーナリズムである。しかし、現在の日本では検察による自浄作用はその機能を大きく失っている。そして、もう一つの柱であるジャーナリズムについても社会的自浄作用に貢献しているとは思えない。
どちらも、国民全体の利益をいう『公益』ではなく、特定の権力者やその取り巻きに奉仕し、自分たちも見返りの利益を得ると言う『私益』を優先しているように思える。
1980年代まで、政治家の私利私欲が絡む不正事件が発覚すれば、『汚職』という言葉で報道されていた。汚職の意味は『職権や地位を濫用して、賄賂を取るなどの不正な行為をすること。職をけがすこと』である。文字通り、簡潔明瞭に問題の悪質さを示す言葉で、公職を汚す行いをした政治家は即座に退場するのが常であった。けれども、日本のメディアでは、いつからか、この『汚職』という言葉が使われなくなった。その代わり全ての新聞テレビで『汚職』という言葉の代わりに『政治と金』という言葉を使うようになった。この『政治と金』という言葉には『汚職』という言葉が持っていた公益を害するという問題の悪質さを示す明瞭な意味が含まれていない。つまり日本のメディアは『政治と金』の言葉を使いながら、地位や職権を悪用した不正行為の『汚職』という犯罪性や悪質性を消し去る効果を持つ欺瞞的な印象操作に協力していることになる。
現在、日本の国会においては詭弁が氾濫し、まともな議論が成り立たないまでに劣化している。政治家が保身や自己利益のために濫用する詭弁の中でも、とりわけ悪質で有害なのが『それについてはお答えを/説明を差し控える』という詭弁である。この言葉は第二次安倍政権下で使用頻度が激増し、2017年から2019年にはいずれも毎年500回以上使われていた。2018年には580回使用され、1970年に使用された7回と比較すると80倍以上に激増したことになる。発信者別では安倍元首相が165回とダントツで多く、この詭弁が国会で多用されるきっかけを作ったのが安倍晋三であったことがわかる。
重要な質問への『お答え/説明を差し控える』という返答は、一見すると礼儀正しく、最もらしく聞こえるが、実はこの詭弁には論理的な正当性はない。
本来、首相や閣僚、与党の国会議員は、国民の生活を左右するほどの大きな権力を握る『公人』であるがゆえに、主権者である国民やその代理人的存在である報道記者からの質問に誠実に答えて、『説明責任(アカウンタビリティー)』を果たす義務を負う。それが国民主権を土台とする民主主義国の大前提である。
実際、アメリカやヨーロッパ、その他の民主主義国では、報道記者が権力者にしつこく食い下がり、権力者がきちんと答えるまで質問を投げ続ける光景が珍しくない。記者側も自分が国民の代理人的な存在であるという自覚を持ち、責任感と職業的矜持を胸に抱いて、国民の『知る権利』を代行する立場から、権力者に説明を求める。昔は日本でも、こうした緊張感が、首相や官房長官の記者会見でも見られた。しかし、安倍自民党政権下で、そんな緊張感はいつしか消失し、首相や官房長官の顔から緊張感が消え、記者をあざ笑うような『それについては説明を差し控える』という詭弁で、どんな質問でも答えずにはぐらかすことができるようになった。
改めて指摘するまでもなく、記者会見における詭弁の常態化は、自民党政権の責任であると同時に、本気で権力者に『説明責任』を求めなくなった報道記者や報道企業の責任でもある。『説明を差し控える』と言われて、黙って引き下がるような、報道陣としての責任感も職業的矜持も持たない政治記者ばかりになったことで、権力者は自分に不都合な事実については、どこまでも説明を拒絶できるようになってしまった」と書かれていた
2002年に「報道の自由度ランキング」が初めて公表された時、日本の世界順位は26位であった。そして、22年後の2024年度の世界順位は70位となった。北朝鮮のことをとやかく言えないような状態になったようだ。日本の場合、これは権力者側の問題であると同時にジャーナリズムの劣化の問題も大きいと思う。日本再生のためにジャーナリズムの復活を期待したい。