「自民党金権政治はビョーキ」という記事を見た。記事は次のように書かれていた。
「石破首相の商品券10万円問題は一気に政局化しているが、驚くのはよくぞ、このタイミングで、こんなバカげたことをしたものだということだ。世間は呆れ、そして、「なぜ?」と目を白黒させているが、それに答えていたのが15日付の毎日新聞だ。『商品券 自民で慣例化か、複数関係者が証言』という記事である。
<第2次安倍政権時にベテラン議員が首相公邸で会食した前日、首相周辺がこの議員のもとを訪れ、『お土産です』と紙袋を渡してきたという。開けると数十万円分の商品券だった>なんて、話がいくつも出ている。世間は石破の非常識と金銭感覚に驚いているが、自民党の中では『当たり前』だったということだ。だから、石破も平気で配る。なるほど、だとすれば、合点もいく。
選挙の際にはカネを配る。当選すれば、お祝い金。仲間にしようと会食すれば、当然、お土産。中身はもちろん、カネである。現ナマの時もあれば、今回のような商品券、背広のお仕立券、はたまた靴券なんて時もあるそうだ。これじゃあ、カネがいくらあっても足りやしない。
法大名誉教授の五十嵐仁氏はこのほど、『撃破』という本を上梓した。そこにこんなくだりがある。<自民党には、治療不可能な宿痾(持病)ともいうべき3つの病があります。右傾化・金権化・世襲化という病気です><これらの長く続く病は自民党の体質となり、もはや自らの力で直すことは不可能なほど全身を蝕んでいます>
石破がこのタイミングで金を配った理由はここにある。彼らはビョーキなのである。不治の病の病人に政治のカジ取りは任せられない。当たり前のことだ。
それなのに、この病をひた隠しにし、ゴマカし、認めてこなかったのが歴代自民党なのである。それは何十年にもわたる「政治とカネ」の不毛な議論を振り返れば一目瞭然で、それが脈々と続いている。裏金事件が発覚した際、時の首相岸田文雄は、火の玉になって改革するなどと啖呵を切った。石破はルールを守る、倫理観の確立に全力をあげると大見えを切った。病を認めず、私は違う、健全ですというハッタリである。国民もクリーンイメージの石破だけに、ひょっとしたらと期待したが甘かった。
首相就任直後の衆院選ではあろうことか、裏金非公認議員にも陰で2000万円を配り、選挙で惨敗。その結果を突きつけられても裏金事件の真相に迫ろうとせず、この期に及んで、企業・団体献金禁止を認めない。有権者もさすがに、おかしいなと思い始めていたところ、今度の10万円商品券の配布であり、政治活動ではないという方便、居直りなのである。石破をしてこのザマという現実は、まさしく、金権腐敗が自民党の宿痾であることの証左だろう。
それにしてもなぜ、自民党はこの病から治癒できないのか。政治記者歴50年の野上忠興氏に聞いてみた。
『自民党の文化そのものなんですよ。その文化とは何かといえば、カネがすべての拝金主義です。選挙運動もカネ、仲間を増やすのもカネ、総裁選もカネ、ポストを得るのもカネ。当選するのにカネを使い、当選したら、あいさつ回りでカネを配る。ある総理秘書官は政治ジャーナリストにもカネを配って“これで大丈夫”とうそぶいていましたね。政治というのは人を動かすことで、人を動かすにはカネがいる。これが自民党の考え方で、文化になってしまっているんです』
ふつうの世の中では、人を動かすのは信念や説得力だが、自民党だけは違うらしい。だから、政治にはカネがかかるなどと平然とうそぶく。企業・団体献金にすがる。首相から末端までカネ、カネ、カネになるのである。 金権腐敗が自民党の宿痾である以上、石破を降ろして、替えたところで何も変わらない。自民党を下野させる以外に、この国の政治をマトモに戻す術はない」と書かれていた。
この記事を読み、安倍晋三元首相の現役時代に「今だけ、金だけ、自分だけ」という安倍元首相の政治姿勢を揶揄する言葉が流行ったことがある。今から考えると「今だけ、金だけ、自分だけ」は安倍元首相の専売特許はもちろんだが、そればかりか、自民党政治そのものだったということになる。このような病気の政党に日本の政治を任せられない。任せられないどころか、存在自体が日本にとって害悪でしかない。自民党を下野させる以外に、この国の政治をマトモに戻す術はないと記事は主張していたが私も全く同感である。今夏の参院選において、ぜひとも自公過半数割れで下野に追い込みたいと思う。