ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「俳句弾圧不忘の碑」の記事を読んで

2018年5月に書かれた信濃毎日新聞の記事、「不忘の碑は問う」を読んだ。
記事には次のことが書かれていた。
 戦時下に弾圧された俳人たちを顕彰する「俳句弾圧不忘の碑」が上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の近くに建てられた。俳人弾圧の歴史を振り返るだけでなく、「自由と平和の象徴に」との願いが込められている。今、平和主義を規定する憲法9条の改正案が与党自民党から示され、表現の自由を脅かすとされる「共謀罪」の趣旨を含んだ改正組織犯罪処罰法は既に成立した。そんな時代に碑は、私たちに何を訴えかけるのか。
 2月25日の除幕式。幕が取り去れさられると、「不忘の碑」の前に、俳人金子兜太さん(1919〜2018)の遺影が立て掛けられた。金子さんは碑の文字の揮毫者である。式への出席を強く望んでいたが、5日前に98歳で亡くなった。「無言館」館主の漥島誠一郎さんとともに、除幕した俳人のマブソン青眼さんは、「金子先生の自由と平和を願う気持ちを胸に、人間らしく生きられるようにしましょう」と言葉を振り絞った。
 金子さんにとって、戦時下の俳人弾圧事件は身近だった。大学時代に師事していた嶋田青峰(1882〜1944)が犠牲者の1人だったからだ。
 碑の建立は、金子さんの経験を知った弟子のマブソンさんが「師匠の師匠」の名誉を回復しようと考えたのがきっかけの1つだった。マブソン青眼さんの母国フランスでは、ナチスに抵抗した人たちは「レジスタンス」として顕彰されているのに、日本では弾圧された俳人たちが放っておかれている。それが、今の社会の息苦しさにつながっているのではないかと考えたことに始まる。15年11月、碑の建立を金子さんに提案すると、金子さんは即座に賛成した。そして、窪島さんと3人で筆頭呼び掛け人になった。
 金子さんが即答したのは、弾圧事件を思い起こさせる出来事が、その前年に起きたからだった。さいたま市の女性が詠んだ<梅雨空に9条守れの女性デモ>が、公民館月報への掲載を拒否されたのだった。集団的自衛権を巡り憲法9条についての議論が盛んだった時期であった。掲載拒否は「世論を二分するテーマで、月報は公平中立の立場であるべき」との理由だった。
 金子さんはこれを講演などで繰り返し批判した。「社会全体が同じ方向を向かないと気が進まないと言う人が増えてきて、そんな人が率先して自粛し、お互いを縛っていく。そしてみんなで監視し合う。このムードは戦前そのものです」
 マブソンさんは、「金子先生は『戦争の始まりは常に表現の自由の抑圧から』と言っていた。『不忘』忘れないようにという遺志を大切にしたい」と、金子さんが碑に込めた思いを推し量る。
 「なんでもない俳句が、まさかこんなふうになるなんて。かつてと同じ道をたどるような恐れを感じました」と<梅雨空に・・・>の作者の女性は言う。子供の頃に東京郊外で空襲に遭い、防空壕に逃げ込んだ。戦後は平和な時代を過ごしたが、2人の孫が生まれ、改めて戦争放棄をうたう憲法9条の大切さを思うようになった。2014年6月都心に出かけた時、雨の中を練り歩く女性たちを目にし、「自分も何かやらなければ」とデモにしばらく加わった。これを地元公民館の句会で読んだ。「(優秀句に)選ばれたのは、戦争を経験した世代の人たちが共感してくれたからだと思う。掲載されないのは、その人たちに申し訳ないない」
 だが、さいたま市の姿勢はかたくなだった。これを報道で知った金子さんが、いち早く声を上げた。市民らに支援の輪が広がり、翌15年6月、提訴に踏み切った。埼玉地裁は昨年10月、不掲載は違法であり、女性への慰謝料を支払うよう命じた。(東京高裁の控訴審構判決は5月18)
 「憲法は大事だと思っていたけれど、まさか自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。何かあったときに行動を起こせるよう、意識を持っていたい。金子さんの最後の思いを刻んだ不忘の碑へも、いつか仲間と訪れたいと考えている」と女性は話したと書かれていた。

「俳句弾圧不忘の碑」建立趣旨については次のように書かれていた。
1940年(昭和15年)2月14日から1943年(昭和18年)12月6日まで、当時の戦争・軍国主義を批判・風刺した俳句や反体制的な作品を作ったとして、少なくとも計44人の俳人治安維持法違反容疑で検挙され、内13人が懲役刑を受けました。留置場で心身の過酷な苦痛を強いられたり、釈放後に病死したりした者もいました。彼らの犠牲と苦難を忘れないことを誓い、再び暗黒政治を許さず、平和、人権擁護、思想・言論・表現の自由を願って、之を建立します。
呼びかけ人
金子兜太窪島誠一郎、マブソン青眼他66名、協賛者551名      2018年2月建立

 いま、私は俳句を楽しんでいるが、戦前に俳句弾圧事件があったことは知らなかった。しかし、2014年に<梅雨空に9条守れの女性デモ>の俳句がさいたま市の公民館月報に掲載拒否された事案は知っていた。しかし、その時はあまり深く考えていなかった。しかし、この掲載拒否を受けて、このことは決して看過できない。これは思想・言論・表現の自由を奪うことであると徹底的に戦う覚悟で提訴した方がいて、勝利したことをはじめて知った。金子先生は『戦争の始まりは常に表現の自由の抑圧から』と話されていたが、表現の自由の抑圧には声をあげて反対しなければいけないとつくづく思った。いつの日か、「俳句弾圧不忘の碑」を訪れたいと思う。