ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「承認をひらく」を読む  その2

著書の中で、時代によって変わる承認の事例が書かれていた。以下、その一部を記す。

 「国家が戦争に突入すると、ただ1つの価値、勝利するためだけの特有な価値基準が社会の承認基準になります。またたく間に個人の生命や尊厳が奪われ、人権が無視され、一人ひとりの幸せが収奪されることが当たり前になる社会です。
 アジア・太平洋戦争は長かったので、『誤った社会の承認基準』を正しいと信じ込み永久に変わらないと思い込んだ人々が、戦争の正義を喧伝し、敵国市民の虐殺を誇り、人権を踏みにじった結果が新聞でも戦火として大きく賞賛されました。しかし、敗戦になって世界が変わると、戦争中の英雄は戦争犯罪者として裁かれました。その経験は、どんな個人も社会も、人権や公正、真実と言う人間の歴史が残した普遍的な価値を承認基準の中心に据えることを決して忘れてはいけないことを教えています。

 戦後、『母の大罪』(河崎義祐著、1981年、ノンフィクション)が出版されました。
『母の大罪』という作品は、アジア太平洋戦争中の軍国主義日本の社会的承認の一例を、正確に描いています。舞台は昭和17年〜19年ごろ。夫を早くに亡くし、母一人子一人の中で、内職のミシンを踏んで自分を育ってくれた母を喜ばせるため、また親族のホープとして期待を一身に背負っていた一人息子の敬は、当時の社会的承認基準の最高位であった、皇国の軍人になることを目指していました。兵役についてわずか2年で少尉に、そのあと、中尉に昇進するという、超スピードの出世をします。母親も息子の出世を喜こび、士官となった息子と町を歩くと遠くからも人が敬礼をしてくれることを嬉しく思い、誇りにしていました。ところが敗戦後、息子は巣鴨プリズンで、B級戦犯の第一号として絞首刑に処せられたのです。昭和20年代、66歳の母親が食料配給の列に並んでいると、『あれが死刑第1号の母親だ』『あんな人がいたから日本が負けたんだ』と聞こえよがしにいう人の声が聞こえました。『母の大罪』の母とは、巣鴨拘置所で、戦犯として1番目の絞首刑を受けた、由利敬の母親、由利ツルのことです。
 ツルは長崎県の生まれ、当時、最高水準といわれた長崎の師範学校を卒業、その頃は、まだ珍しかった洋裁の技術も身に付けていました。1920年(大正9年)長男、敬が生まれます。不幸にも敬が3歳のとき父親が亡くなり、その後、ツルは小学校の代用教員をしたり、洋裁の内職をしたりして、女手一つで敬を育てあげました。巣鴨プリズンで敬の最後を見届けた教誨師、花山師宛にツルは次のような手紙を書いています。『敬を戦犯者にしたのは、まったく私の罪でございます。私は、仏様に伏してお詫び申します。私が26年間、軍人となることを一心に養育したのがもとで、敬はいまのような大罪を犯したのです。この大罪は誠に、この愚かな母の罪です』
 この時代、小学校で『将来何になりたい』と聞かれれば『陸軍大将になりたい』とか答えるのがふつうであり、子どもが軍人に憧れるのはもっともなことでした。軍人に対する世間の評価も高かったのです。敬は旧制中学卒業後、兵役につき、そこで幹部候補生に選ばれて、猛烈な訓練に耐え、至難といわれる試験にも合格し中尉に任官して1700人を収容する捕虜収容所の所長になります。そして、この捕虜収容所所での捕虜への処遇等ついて東京裁判で責任を問われ、敬は絞首刑に処せられました。
 『母の大罪』は、母親が戦争時代の寵児となるように息子を育てたわが身の大罪を悔い、世間に褒めそやされる子どもを育てたいと願った愚かな母親と、もっと普遍的な道徳を持っていた親と比べ、わが子を戦犯として処刑台に送ったのは母親の自分だったという後悔を描き出した本です。
 戦争中の承認基準がどの時代にも当てはまる普遍性を持っているわけではありません。同じように現在の社会で当然とされている承認基準が必ずしも正しいと言えないのです。
 
 承認をキーワードに、国家・社会と個人の関係、個人と個人の関係を問い直してみると、承認と言う鏡に映る様々に歪んだ社会像が浮かび上がってきます。公共的な場で相互性を持った議論が行われることなく、一方的に承認されていく日本社会の危うさは、岸田首相が独断的に決めた安倍元首相の国葬にもくっきりと現れていました。そのような承認が度重なっていくうちに、それが当たり前になり、違和感を持たなくなり、民主主義社会が知らず知らずに根腐れ状態になっていくのを恐れます。
 
 承認とは、その語義のように、その事柄が真実であり、公正であり、妥当性があると認める行為です。一つひとつの承認を意識的に問い直していくことで、民主主義に新しい命が吹き込まれ、人権というキャパシティを広げ深めることになるのです」と書かれていた。

 『母の大罪』の著者河崎義祐は、『母の大罪』の出版が由利親子にとって喜ばしいことであるかどうか悩みました。それでも、戦争責任についてあれこれ言い訳をして責任を他者になすりつけ、戦後、国会議員にさえなった日本人も多くいる中で、母の大罪であると言い切って、天下に詫び、息子の死後もけなげに生き抜いた由利ツルのことを書き残したいという気持ちで出版を決意したとあとがきに記しています。そして、そのあとがきには、アメリカ人ジャーナリストデビット・コンデの次の文章が引用されている。

 「多くのアメリカ人が西ドイツより日本に疑いの目を向けるのは、1945年以後の両国の取組の相違である。連合国はニュールンベルクと東京で戦犯裁判を開いた。それは単に、清浄作用の始まりにしか過ぎなかった。
 連合軍による戦犯裁判は、日本ではさしたる重要性を持たなかったのだろう。日本では戦争の指導者たちは、これで事件は一見落着したと考えたのに反して、西ドイツでは、毎年のように非人間的で野蛮な元ナチ党員を戦犯として裁いているのだ。
 一方、無感覚で腐敗した日本では、自分自身では誰も裁かず、逆に多くの事例に見られるように、自民党議員として国会議員に選出している・・・・。
 ドイツ人たちが、自分で戦犯を裁いているということは、何が『善か悪か』、何が『人間的か、非人間的か』について、自ら判断しうるだけの文化水準に達していることを示している。日本もみずからの戦犯裁判をすぐ行うべきである、と私は信じる」

デビッド・コンデ氏は「日本はあの戦争を体験したのに何も反省していないし、うやむやにしている」と指摘している。承認の中身が訂正されていないと指摘していることに、国内感覚と国際感覚の違いに驚いた。私を含め、私たち日本人は井の中の蛙のような発想しかしていないのだと改めて狭い視野を猛省する。日本が国際的レベルに到達するには今後相当努力しなければならないと思った。