参政党が躍進しているというニュースを、最近聞くようになった。
先日の読売新聞社が実施した参院選の序盤情勢調査でも、「比例選(改選定数50)では、自民党が前回2022年の18議席から大幅に減らす可能性がある。野党では、立憲民主党が前回選並みの議席を確保する見通しで、国民民主、参政両党は躍進する勢いだ。特に、存在感を増しているのが参政だ。4~9議席が見込まれ、前回選の1議席から大幅増となる。重視する政策に「外交や安全保障」「憲法改正」を挙げた人からの支持は、いずれも自民に次いで多く、保守票の受け皿となっている可能性があると書かれていた」
参政党の神谷宗幣氏は、元大阪府の吹田市議だった方で、その後、森友学園の籠池泰典理事長の縁を頼り、大阪から国政に出馬できるように安倍晋三首相に願い出たと言われている人物で、安倍元総理の考えを継承する人物である。その人物が今ころどうして脚光を浴びているのだろうと不思議に思っていた。
そういう中、「参政党の新憲法草案を読んで驚かされた、ここがおかしい 小林節が斬る!」という憲法学者である小林節氏の論評をネットで見た。そこには次のように書かれていた。
「参政党が5月に新憲法草案を発表したと知らされて、改めて読んでみたが、驚かされた。この国は天皇が統治なさる国であり(前文、1条1項)、内閣の責任において、三権の長の任命、憲法、法律、条約の公布等を天皇が裁可する(3条)。また、(国民ではなくて)国が主権を有し、元号は天皇が定め、国歌は「君が代」である(4条)。さらに、教育において教育勅語は尊重しなければならない(9条)と参政党の新憲法草案には書かれている
まさに、内閣に管理された天皇主権国家である。
明治憲法の下では、形式的には天皇に国家の全権が集中していたが、実際の国家運営は、天皇の名で、重臣・高官たちがつかさどる制度になっていた。だから、参政党の憲法観はまさに明治憲法回帰であると言える。
明治憲法体制は、天皇の絶対的権威の下で、重臣たちが国家の全権を掌握・行使し、国民大衆にはそれに対する拒否権は与えられていなかった。その故に、第2次世界大戦に至る国の暴走を招き、それは惨敗で終わった。
その反省の下に、現行憲法は、国民主権、平和主義、人権尊重の三大原則を採用した。参政党の草案では、平和主義と人権尊重は辛うじて可能に見えるが、「国民主権」だけは真っ向から否定している。
国民主権とは、国の統治権の主体は国民大衆であるとする原則であるが、参政党の草案では、国の統治の形式的主体は天皇で実権は内閣にあるように書かれている。また、主権は「国」にあるように書かれているところもある(4条)が、ここでいう「主権」は国際法上の対外主権(自国の独立性)を指しているようにも見えるが正確な意味は不明である。
その上で、教育勅語(要するに、「国民は危機に際して命がけで皇室を守れ!」という命令)を尊重しろとしているが、論外である。
全国民の勤労と納税で支えられているこの国の主権が国民大衆であることは、もはや現代国家では譲りようがない原則である」と小林節氏は語り論外であると断定されていた。
このような、時代に逆行した荒唐無稽な憲法草案を掲げる参政党が脚光を浴び、躍進するなど想像もできないことである。現在の与党勢力である自民党・公明党には、もはや日本の政治は任せられないと多くの人が思った結果、参政党が議席を増やしたのでは、自民党が焼け太りしたようなものである。どうして参政党が人気を集めているのかについて、政治について何も知らない若い人が、SNSをきっかけに参政党に流れているという話もあるが、しかし、いくらなんでも若い人が、天皇が支配する大日本帝国を目指そうとしているとは思えない。
参政党の目標は、天皇主権国家の確立である。国民主権、平和主義、基本的人権の現在の日本国憲法の改憲こそが参政党の最優先重要課題である。参政党が今人気を集めているというのは、安倍晋三時代の安倍晋三支持者たちが、日本にはまだまだたくさんいるのだと思った。明治憲法への回帰を目指す人が多くいるのだと思った。個人が尊重されるのではなく天皇のため(国家のため)に喜んで命を捨てるように国民に仕向ける憲法など絶対認めるわけにはいかない。明治憲法回帰の参政党は絶対認めるわけにはいかない。