句会に参加した今回の兼題は「木の実」であった。
今回、私は次の三句を投句した。
①お散歩のどんぐり拾い留処なし
②園児等のどんぐり拾い声弾む
③鳥誘う赤き木の実の鈴生りに
①お散歩のどんぐり拾い留処なし この句については、二人の方に選句していただいたが、先生から、俳句は基本的に丁寧語の“お”をつけません。“お散歩”はだめです。俳句は“散歩”で使ってください。この部分は再考してくださいと指摘を受けた。
②園児等のどんぐり拾い声弾む この句についても二人の方に選句していただいたが、先生からは次の指摘を受けた。園児のどんぐり拾いを楽しんでいる様子はわかるんですが、句が平板過ぎて面白くない。例えば、どんぐり拾いで声が弾むにとどまらず、声の質、声の中身などもっと掘り下げた方がいいという指摘を受けた。
③鳥誘う赤き木の実の鈴生りに この句については誰からも選句していただけなかった。先生からは、この句は赤き木の実が鳥を誘っているのだから、逆にしたほうが理解しやすいと言って、次のように添削していただいた。鈴生りの赤き木の実の鳥誘う シンプル イズ ベストである。
今回の句会で、私の句は平板過ぎて面白みがない。惹かれるものがないという指摘を受けた。確かに、仲間の作品と比べて、私の作品は面白みがないと思った。この優劣の差は私の能力不足ももちろんあるが、俳句を作る姿勢にもあるように感じた。この1ヶ月、秋とはいえ、残暑厳しく外に出るのが億劫であった。俳句作りもつい家に閉じこもって、過去の経験や過去の記憶から句作することばかりであった。しかし、仲間の作品は、俳句を作るためにどんどん外に出て題材を見つけ出して俳句を作っていると思った。今日の最優秀句である“流鏑馬”の句も、それを見に行って作った句である。流鏑馬という最高の舞台仕立てで若武者を見出し、俳句を作ったが、これは俳句を作ろうとという意欲で戸外に出た成果であったと思う。そのような姿勢がなければ良い俳句は作れないと実感した。これからは良い俳句を求めて歩こうと思った。