ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「ルポ 司法崩壊」を読む その2

 この著書には、司法が権力によって取り込まれ操られているという実態が様々記されていた。国民としては、最高裁判所裁判官の動向に注目し、裁判官国民審査には厳しい目をもってのぞまなければいけないとあらためて私は思った。
 このような日本の司法の現状を踏まえ、関西電力原発の運転差し止め判決を言い渡した元福井地裁裁判長の樋口英明氏へ、「日本の司法の独立について」というインタビューが行われ、樋口氏は次のように語っていた。
「司法の独立について、下級審の裁判所や裁判官に政界や経済界からの圧力がかかる事は、私の知る限りではありませんでした。最高裁が防御の役割をどの程度果たしてくれているのか分かりませんが、外部からの圧力がかかる事はないと思います。問題となるのは最高裁からの圧力ないし影響ですが、かつて最高裁青年法律家協会に所属していた裁判官に人事面で不利益を課すなどして脱退をせまったのは有名な話があります。しかし現在では最高裁から裁判官の独立を明確に侵害するような圧力がかかる事はありません。しかし最高裁は自分の意図に合う判決が地裁段階から出ることが望ましいと思ってるようで、協議会、研究会などの名目で会議を開き、最高裁の見解らしきものを披露したりします。そういう雰囲気作りは行われています。
 司法の独立問題は、政府等の外部勢力によって司法権の独立が侵害されたかどうかという組織的な問題ではなく、裁判官自身が司法の独立の重要性に対する自覚に欠け、裁判官としての矜持の欠如に起因する問題であると思います。
 最高裁の裁判官の自覚や矜持の欠如の穴埋めとなっているのは、今の政治や社会の動向に迎合しようとする姿勢や、自分と関係の深い組織や者の利益を図るという裁判官として最も許しがたい姿勢だといえます。他方、下級審の裁判官の自覚や矜持の欠如の穴埋めとなっているのは、最高裁の意向に対する忖度や最高裁に迎合しようとする姿勢です。
 法の支配における裁判所の役割の重要性や裁判所が人権擁護の最後の砦である事は、多くの裁判官が学生時代にすでに学んだことです。しかし、裁判所に入った途端に、多くの人がこれらを忘れ、任官直後に『裁判官は最高裁判例に従うのが当然である。もし、仮に最高裁判例がなかった場合には、最高裁が下すであろう判決をすれば良い』と教えられているようですが、しかし、基本に立ち返ってもう一度考える時間を持つべきです。

 下級審の個々の裁判官が独立の気概を持ち続けるためには、まず最高裁の裁判官が独立の気概を失い、腐敗している現状を知ることが必要だと思います。もし最高裁の実情を知りながらもなお、最高裁の意向に従って裁判をするなら、それは裁判官としての自殺行為で、明白な憲法違反です。憲法と法律と良心に従っているのではなく、最高裁でしかも不健全な最高裁で維持されるかどうかという雑念で裁判をしているからです。そういう雑念を排除すべきだと定めているのが憲法76条3項です。雑念を排除して、憲法と法律と良心に従って裁判をすれば、その責任を裁判官が問われる事はありません。しかし、最高裁が取るであろう結論を見通した上で、最高裁で維持されれば良いと考えで判決を出せば、その判決の責任はすべてその裁判官個人が負わなければなりません。それは一生涯責任を負うことになり、歴史の審判を受けることになるのです。このことこそ、任官直後の裁判官に教育してほしいものです」と語っていた。
 
 最高裁判事の選任については、政権の都合の良い人事が行われていて、それが司法の独立の根本問題としてあるようだ。それを踏まえて、元裁判官の樋口氏は、下級審の個々の裁判官に「雑念を排除して憲法と法律と良心に従って判決すべき」と訴えている。日本の司法の独立を維持するために、先輩裁判官の声が、現役の後輩裁判官の心にどうか届いて欲しいと切に思う。