ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「本当のことを伝えない日本の新聞」を読む

 この本には、外国人ジャーナリストであるマーティン・ファクラー氏が、日本で取材活動をしながら感じた日本の報道機関の報道姿勢や日本人ジャーナリストの意識などについて書かれている。そして、日本の報道機関の特徴は、記者クラブ制度にあると書かれていた。さらに、日本では当たり前と思われているこの記者クラブという日本のシステムは、世界的に実に稀な特異な存在であると書かれていた。

 以下に著書の一部を記す。
「私が日本で取材を始めて、最も驚いた事は『記者クラブ』である。日本の新聞や通信社テレビといった主要メディアの記者たちは、記者クラブに所属し、取材活動を行っている。日本の新聞やテレビから流れてくるニュースが似たり寄ったりである第一の理由は、当局からの情報を一人占めする記者クラブの存在にある。一方、記者クラブに所属できない雑誌メディア、インターネットメディア、海外メディアの記者や個人のジャーナリストたちは独自の取材により情報を発信している。
 現在、省庁や国会、警察、裁判所など記者クラブが設置されており、加盟者は取材対象と友好的な非常に近い距離で日常的に取材を続けている。
 しかし、アメリカ人にとって、ジャーナリズムはウォッチドック(番犬=権力の監視者)であるべきと言う強い共通認識がある。そのため、日本の記者クラブから生み出される取材対象者への友好的で近い距離関係に疑問を感じることがある。権力をじっと監視し、ひとたび不正を見つければ、ペンを武器に噛み付く。だから、省庁や警察署内に詰所を設けてもらい、各社の記者が寄り集まってプレスリリースをもらうなどという記者クラブのシステムは理解できない。

 日本のジャーナリズムは、権力の監視と言う役目を果たすことができるのかという疑問が、いつも付きまとっていた中、その決定的な状況を突きつけたのが3.11の大震災であった
 東日本大震災が起きた直後、福島第一原発の事故をめぐる情報は錯綜していた。事故直後から『東京電力原子力安全・保安院菅直人内閣は、どうも真実を口にしていないらしい』という不信感が世界的に広がっていった。彼らの信頼性は、ほとんど0に近かった。
SPEEDI(スピーディ)』とは、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの略称である。原子力発電所から大量の放射性物質が放出された際、放射性物質の質や量、各地の地形や気象条件などのデータに基づいて拡散状況を瞬時に予測するもので、文部科学省によって運用されている。このスピーディを活用することによって、周辺のどこがいつ危険な状況になるのかシナリオを描くことができ、その情報を国民に知らせ、活用することが政府に求められているものである。

 3・11事故発生時、このスピーディは地震による機器の故障という理由で公表されなかったが、実際は、原発事故当初からスピーディは稼働し続け、放射性物質が飛んでいく方向は予測されていた。データは集められていた。米軍には外務省を通じて3月14日にスピーディのデータが提供されていたにもかかわらず、日本国民には知らされる事はなかった。開発に100億円以上を注ぎ込んだスピーディという拡散予測システムを持っていながら、福島県の住民退避に全く生かす事はできなかった。

スピーディーの情報は2011年3月23日初めて原子力安全委員会が発表した。その頃には既に放射性物質はあちこちに広がってしまっていた。事故から10日以上も経ってから、放射性物質の拡散予測を発表したところで、何の意味もない。福島県浪江町の町長は、『スピーディを公開しなかったのは、殺人と同じだ』と言い方をして強い口調で政府を批判した。

このスピーディの公表については政府側だけではなく、報道する側にも問題があったと思う。なぜなら、多くの記者が、原発事故直後からスピーディの存在を知っていたからである。
 福島第一原発の事故直後から文部科学省の会見で、記者クラブ所属の新聞、各種の記者たちはスピーディの予測データの公開を求めていたそうだ。しかし、機器の故障により予測データの提供を拒否された。その後この件について責任追及したり批判などはしていない。記者クラブを通じて、あまりにも当局との距離が近くなりすぎていたために、追求の手が緩んでしまったのか、それともジャーナリストとして持つべき批判精神を持てないほど思考停止していたのか。
一体、スピーディは放射性物質の拡散についてどのような予測をしているのか、福島県で暮らす周辺住民はどのような計画で退避するなり、室内に避難すればよかったのか、住民の安全を守るためにスピードの情報を速やかに公表するよう、紙面を使って強く訴えることが新聞の役目だったはずだ。スピーティの存在を認識していながら、報道を差し控えたのなら、記者たちの感覚を疑わざるを得ない」と書かれていた。

 後日、スピーディの公表がなされなかったため放射能汚染度が高い地域に避難した人が多くいたことが後で判明した。町長が殺人と同じだと激怒するのはもっともである。

 著書を読みながら日本の大手メディアの問題点を理解することができた。日本の大手メディアは大本営発表の回覧板役を自ら演じているのだと思った。当局の都合いいことだけを報道するだけでなく、報道したくないこと、隠しておきたいことについても進んで隠蔽工作に協力するようだ。このようなメディアは存在価値はないとあらためて思った。