ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「烙印、人殺しと呼ばれた38年間」を見る

 福井放送が制作したテレビ・ドキュメンタリー「烙印、人殺しと呼ばれた38年間」という番組を見た。番組の紹介に次のように書かれていた。「1986年に福井県で起きた女子中学生殺人事件。逮捕された男性は殺人罪で懲役7年が確定して服役した。しかし彼は一貫して無罪を主張した。そして今年2025年8月、再審無罪となった。殺人犯という烙印を押された彼の38年間の魂の叫びに福井放送が迫る」とあった。

 冤罪という言葉がある。意味はぬれぎぬである、つまり無実なのに罪を着せられることである。この番組はまさにその冤罪事件を扱った番組であった。私たちの社会は社会の秩序を保つために公権力の警察・検察を使って犯罪者を取り締まり、司法において裁くという社会システムをつくり運用している。その取り締まり及び司法の業務はあくまでも真実に沿っておこなわれるものでなければならない。取り締まる側の都合で、無実の者を犯罪者に仕立て上げるようなことは決してあってはならないのは当然である。しかし、その当たり前のことがなされず、真逆のことがなされていたということが番組で明かされて大変驚いた。

 放送された「福井女子中学生殺人事件」の概要は、以下の通りである。
 福井女子中学生殺人事件とは、1986年(昭和61年)3月19日に福井県福井市の自宅である市営住宅で留守番中の女子中学生(当時15歳、中学校3年生)が何者かにより、包丁で首などを20か所以上刺されて殺害された事件である。
 殺害された被害者は、同日卒業式を終えた後に1人で自宅にいた中学校3年生の女子生徒A(当時15歳)で、何者かによって2本の文化包丁で顔・首・胸の20か所以上を滅多突きにされて殺害されていた。Aは両親が6年前に離婚しており、事件当時はスナックホステスの母親と2人暮らしだった。事件当日の19日、Aは午前中に母親とともに卒業式に出席したが、母親は帰宅後の18時に出勤したため、1人で留守番していたところを襲われた。犯行時刻は、1986年3月19日21時40分ごろとされる。
 事件は20日1時ごろ、帰宅した母親が自宅で娘の他殺体を発見したことで発覚した。遺体は発見時、仰向けに倒れており、右首筋には台所にあった文化包丁(刃渡り約18 cm)が突き立てられていた。司法解剖により死因は失血死と断定された。また着衣に乱れはなく、乱暴された形跡もなかった。
 福井県警察の捜査一課と福井警察署は事件発生を受け、極めて残忍な手口から、交友関係のもつれなど怨恨が動機の殺人事件とみて捜査を開始した。捜査本部を設置したが、物的証拠がほとんどなく、捜査は難航していた。しかし県警は事件発生から1年後の1987年(昭和62年)3月29日、福井市在住の男性M(当時21歳)を殺人容疑で逮捕した。Mが逮捕されたきっかけは、事件発生から約1年後に得られた5人の目撃証言及び、事件現場に落ちていたMの毛髪に加え、Mの知り合いである、1986年11月に窃盗などの容疑で福井署に逮捕された暴力団組員の男の証言である。

 被告人Mは刑事裁判で一貫して容疑を否認した。福井地裁の公判では、捜査段階でMの乗った乗用車を現場近くで目撃したと証言し、検察官の証人として申請された男性が、真犯人はMではなく別人であると証言した。
1990年(平成2年)9月26日に福井地裁はMに対し、殺人罪については目撃証言が信用できず、また物証とされた現場の毛髪もMのものと断定できないとして無罪とした。この判決を受け、Mは逮捕から3年6か月ぶりに釈放された。しかし福井地検は同年10月9日、判決を不服として名古屋高等裁判所へ控訴した。

 名古屋高裁の判決は、1995年(平成7年)2月9日、Mを犯人と認定した上で懲役7年の刑に処す逆転有罪判決を言い渡した。Mは同判決を不服として最高裁判所へ上告したが、1997年(平成9年)11月14日に最高裁第二小法廷から上告棄却の決定を出され、有罪判決が確定した。

 Mは有罪判決確定後も冤罪を訴え、服役後の2004年(平成16年)に名古屋高裁へ再審請求し、日本弁護士連合会(日弁連)が再審支援を決定した。
弁護団が求めた未開示証拠の開示については、検察が当初拒んでいたものの、異例ともいえる名古屋高裁による二度の勧告により、2008年に殺害現場の状況写真29通、捜査段階の供述調書など125点が開示された。この証拠は、当時有罪判決を受けた裁判に提出されていれば、判断が変わった可能性があるとして、弁護側から証拠隠しと指摘されているものが多数あった。

 名古屋高裁への再審請求の申し立てに対し、2011年(平成23年)11月30日、本件の再審を開始する決定が行われた。
 この決定に対し、検察側は異議申し立てを行い、異議審理の結果、2014年12月10日、最高裁第二小法廷が再審開始を認めない決定をした。

 2022年10月14日、Mは証言の信用性を争点として第二次再審請求をした。2024年10月23日、名古屋高等裁判所は、再審開始を決定した。
元被告人Мの再審初公判は2025年(令和7年)3月5日に名古屋高等裁判所で開かれ、弁護団は「この事件は警察官らが関係者に不当な誘導を行い、事実に反する証言でМさんを無実の罪に陥れた冤罪事件だ」と検察側を批判し、即日結審した。
2025年(令和7年)7月18日、名古屋高裁はMへの無罪判決を支持し、それに対する検察官の控訴を棄却する判決を言い渡した。そして、名古屋高等検察庁は期限までに上告しなかったため、再審無罪が確定した。再審判決では、裁判官は、すでに最初の公判で無実であることが判っていたにもかかわらず検察が無実の証拠を隠し黙っていたことを「罪深い不正な行い」と非難し、また「当時の検察官が事実に反することをぬけぬけと主張した」と指摘、判決後に、裁判長は、「39年もの間、大変ご苦労をおかけし、申し訳なく思っています」と謝罪した。

 この事件は物的証拠がなく、証言者の証言内容が判決に大きな影響を及ぼすものであった。この再審の過程で、「覚醒剤事件を見逃す代わりに協力してくれ」などと言って有利な証言を警察官が作るなどありない話があった。再審無罪でMさんの無罪が確定したことは当然であるが、どうしてこのようなことが起きたのか捜査を担当した警察官や検察官の個人の問題なのか組織の問題なのか明確にしてほしいと思う。二度とこのような冤罪が発生しないようにしてほしいと思った。