
友達に勧められて「虹の鳥」を読んだ。沖縄を舞台にした壮絶な暴力の世界が描かれており、途中、何度も中断せざるを得なかった。
簡単にあらすじを述べると次のとおりである。主人公の一人であるカツヤは、中学時代からの先輩で反社のサイコパスである比嘉の奴隷である。現在、カツヤは20歳を過ぎているがいまも比嘉の縛りから抜け出ることはできない。カツヤの仕事は比嘉が飼っている薬漬けにした少女たちに売春させ、その売春の現場を写真に撮ることである。その写真は比嘉に渡され、比嘉はその写真を使って、その後、男たちを脅迫して金を巻き上げることを仕事としている。そういう社会でいかに暴力が有効であるかといわんばかりに、これでもかこれでもかとあらゆる暴力が振るわれ、女性に対しても暴力と挙げ句の果ては薬漬けにして生きるすべを奪っていく。
反社でサイコパスの比嘉、比嘉の奴隷で半グレのカツヤ、奴隷の下で売春させられるマユ、三人の人物で沖縄が語られるが、比嘉はアメリカ、カツヤは日本、マユは女性またはオキナワという立場に置き換えてみると沖縄の現状がわかりやすいのかなと思ったりもした。
「虹の鳥」の作中に、1995年9月に沖縄北部で起きた、12歳の小学生を強姦した「少女暴行事件」が何度も言及されている。
「少女暴行事件」は、9月の初めに、北部の街で小学生の少女が、3人の米兵に車で拉致され暴行を受けた事件である。その記事を目にした時、カツヤは一瞬、全身の血が泡立つような感覚を覚えた。実はカツヤの姉も昔、米兵に強姦されていたからである。この事件には、激しい怒りを覚えると同時に砂浜に押さえつけられ、泣き叫ぶ少女の姿が目に浮かび覆いかぶさって体を動かしている米兵の脇腹を、刃渡りの長いナイフで抉る、自分の姿を描いた。小学生の少女が米兵に強姦されたこの事件を契機にデモが起こり、8万5千人が集まった10月の沖縄県民集会の様子が作中で言及されている。
この県民集会に片隅で参加した青年がつぶやく。「今、沖縄に必要なのは数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、1人のアメリカ人の幼児の死なのだ」「吊るしてやればいいんだよ。米兵の子供をさらって、裸にして、58号線のヤシの木に針金で吊るしてやればいい」「本気で米軍を叩き出そうと思うんならな。最低の方法だけが有効なのだ」と独白する。
米兵に沖縄の少女がやられたんなら、同じようにやり返したらいい。そう考えて実行する奴が50年の間1人もいなかったのか、襲う奴と襲われる奴が決まっている。そういう島なのだ・・・・・」と吐き捨てるように言う。
そして、虹の鳥の作品の中で、この最低な方法が実行に移される。
この本を読んで、沖縄の苦しみがいかばかりかというのを実感する。この著書を通して沖縄出身の著者が訴えたいことは、オキナワの怒りはもう限界ギリギリということを強調しているのだと思った。日本人として沖縄の苦しみを理解し、オキナワの苦しみを取り除くために政治を変えなければと強く思う。