ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

初冬の町中散歩

青点をスタートしてギャラリー&出島を経由して赤点に戻るコース。距離2.52km、最低高度3m、最高高度19m、総上昇高度19m、消費カロリー397kcal、天気晴れ、気温21度、湿度46%

初冬の天気の良い1日、友達から展覧会の案内をいただいていたので、展覧会見学と出島巡りの散歩をすることにした。

 

今日の散歩の出発点は「浜の町」バス停である。いつも出かける時は、マイカーが多いが、今日は公共交通機関であるバスを使って町へ町へ出る。郡部に住んでいると、町中に出ることはそれだけで楽しくなる。浜の町バス停で降りて、歩いていくと小さな公園の横を通る。その公園の長椅子には頭に鳩を載せた楽器を持った男の人が座っている。町中に来るとこのような状況に出会うのが楽しい。

 

町中をキョロキョロしながら、目当てのギャラリーに到着。このギャラリーは眼鏡屋さんが提供しているギャラリーである。今日は3階と4階で展示会が開かれている。友達は水彩画に出展しているので、まずはその会場に行く。友達の作品を見学した後は、他の作品も見学させていただく。私は音楽も絵画もできないが、作品を鑑賞するのは好きだ。友達の作品を見て刺激をもらう。刺激だけでなく疑問も湧く。今度会った時に質問しようと思いメモをとる。

 

 鑑賞を楽しんだ後は、昔、江戸時代に長崎の人がオランダ屋敷と呼んでいた出島に向かう。途中、中島川に架かる「くろがね橋」を渡る。「くろがね橋」の上には女性の像の彫刻(「水浴の女」エミリオ・グレコ作1964年)が展示されている。エミリオ・グレコ氏の作品がなぜここに展示されているのか経緯は不明だが、今ではずっと昔からあるような感じがする。

 

この「くろがね橋」が有名なのは、明治元年(1868年)8月に、日本最初の鉄の橋として、長崎製鉄所で造られたことである。長崎市民はこの橋を今でも「てつばし(銕橋)」と呼ぶ。この石柱は当時のものである。

 

キョロキョロしながら出島の入口に到着。江戸時代、出島は周りを海に囲まれた築島であったが、明治以降、長崎の市街地造成のため大規模に海が埋立られ、出島は陸地になってしまった。しかし、今、出島の周囲を海で囲む出島復元事業が行われている。現在は、川に沿っていた面に橋がかけられ、その橋を渡って出島に入る。出島に入ると江戸時代にタイムスリップしたような感じになる。出島の中を何の目的もなくぶらぶら散歩する。

 

出島の建物はたくさんあるが、倉庫として使われていた14番蔵には当時の輸入品であった砂糖が積まれている。また、出島の商館員が滞在中にビリヤードとかバドミントンを楽しんでいる様子が描かれた絵画が残されていることから、ビリヤード部屋が作られていた。ビリヤードが日本で最初に行われた場所は長崎、バドミントンが日本で最初に行われた場所は長崎など、長崎は日本で最初の項目が多いのは、全てこの出島の記録が元になっている。

 

出島の一角に、高い木が一本植えてある。この木は「デジマノキ」と呼ばれ、県指定天然記念物に指定されている貴重な木である。この木は、幕末の頃オランダ人が東洋貿易の根拠地としたジャカルタから、この地に移植したもので、日蘭交流の貴重な記念樹と言える。

 

出島の中に15分の1の大きさのミニチュア出島が設置されている。このミニチュア出島は1820年頃に描かれた「長崎出島の図」を参考に作られたものである。全体のイメージを掴むにはミニ出島の前に立つとよくわかる。

 

出島の散策を終えて、橋を渡って出島から出る。江戸時代、出島に入ることは、許可された者しかできなかった。この橋の袂に門人がいて、厳しく監視していたようだ。

 いま、復元事業で出島の周りに海を作ろうとしている。出島復元事業は観光のためばかりではなく、オランダからの要望でもあるようだ。オランダにとって出島は歴史的な場所である。1810年から1815年まで、オランダはフランスとの戦争に敗れ、オランダ本国はフランスに占領され、世界各地の植民地も失ってしまった。1815年にオランダが再興するまでの5年間、地球上でオランダ国旗が翻っていたのは出島だけと言われている。オランダ人にとって、出島は日本人以上に特別な地であるようだ。出島の歴史を学び直す散歩になった。キョロキョロしながら散歩のゴール地点の新地中華街に到着。ここからバスに乗って帰宅する。町中散歩は楽しい。