ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「絶望の裁判所」を読む

 著者の瀬木比呂志氏は元裁判官で、途中退職して法科大学の大学教授となり日本の裁判制度を研究されている方である。この著書は、日本の裁判制度の問題点を指摘し、その改善を提言するために書かれた書である。

冒頭、次のように書かれていた。
 「裁判所、裁判官という言葉から、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか?ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通は効かないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
 しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋答えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派となっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつある。そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇っていき、イニシアティブを発揮する可能性は皆無に等しい。

 日本の裁判所の最も目立った特徴とは何か?それは明らかに事務総局中心体制であり、それに基づく上命下服、上位下達のピラミッド型ヒエラルキーである。このピラミッド型ヒエラルキーの頂点には、最高裁長官と14名の最高裁判事がいる。その次が高等裁判所長官で全国に8名いる。それらを頂点として全国に裁判所としての組織が展開されている。そしてこのピラミッド型ヒエラルキーはトップから地方の家裁まで相撲の番付表のように細かい序列によって位置付けられている。日本の裁判所が、およそ平等を基本とする組織ではなく、むしろ逆であることをよくよく頭に入れておいていただきたい。

 日本の裁判官制度は「裁判官キャリアシステム」である。「裁判官キャリアシステム」というのは、司法試験に合格した若者を司法修習を経てそのまま裁判官に採用する官僚裁判官システムである。
日本のキャリアシステムは非人間的なシステムであり、非常に問題が多い。その構成員には基本的人権がない。集会・結社の自由や表現の自由はもちろん、学問の自由にも、思想及び良心の自由にも大きな制約が伴う。日本国憲法第13条には「すべて国民は個人として尊重される」とあるが、裁判官は、個人としてほとんど全く尊重されていない。虚心にその実態を見据えれば、人間と言うよりも、むしろ制度の奴隷、精神的収容所の囚人に近く、抑圧も非常に大きい。
 ある最高裁長官が、新任判事補に対する辞令交付式で、「ヒラメ裁判官はいらない」という訓示を行ったことがあった。上ばかり見ている裁判官はいらないという趣旨である。これは、究極の超絶の冗談と評価するべきものであった。ヒラメ裁判官を大量生産してきたのは、ほかならぬ最高裁長官を始め、トップに君臨する人たちであった。2枚舌がすっかり習い性となってしまい、そのことについての自覚すらもなくなってしまったのか。そうではなく、単なる言い間違いであって、本当は「ヒラメ裁判官以外はいらない」と言うつもりであったのかも知らない。
 もちろん、今でも、かなり少数派にはなってしまったが、良い裁判をしようと心がけて、日々仕事に励んでいる良識派裁判官も一定の割合存在する。彼らの存在が何とか裁判所の信頼を支えているといっても良いだろう。しかし、良識ある裁判官がシステムのキャスティングボードを握ることは絶対にありえない。

 裁判の目的は、一言で言えば「大きな正義」と「ささやかな正義」の双方を実現することでないかと考える。「大きな正義」とは、裁判所が、行政や立法等の権力や大企業等の社会的な強者から国民、市民を守り、基本的人権の擁護と充実、人々の自由の実現に努めるということであるが、それらについては、国と密接な関係を持つ最高裁の方針にそって裁判が進められ、国民・市民にとってきわめて不十分にしか実現されていない。ましてや一般市民が関わる「ささやかな正義」については、真剣に取り組む事はなく、極めて安易に和解を勧められることが多い。

 現在、大多数の裁判官が行っているのは、裁判というよりは、事件の処理である。また彼ら自身、裁判官というよりは、むしろ「裁判を行っている官僚役人」「法服を着た役人」と言う方が本質にずっと近い。裁判官として自分の考え方を持ち、それを主張する裁判官は出世はできない。つまり、最高裁が暗黙のうちに公認してる方向と異なった意見を表明するような人物は出世できない仕組みになっている。

 著書の中で、日本の裁判所はまさに絶望の裁判所であるという実態がさまざまな実例とともに描かれていた。
そういうなかで、日本の「裁判官キャリアシステム」には問題が多く、ことに近年はその劣化と荒廃が進んでいることをも考慮すると、司法を再生し、さらに、国民、市民のための裁判を実現していくためには、「法曹一元制度」が不可避であると提言されていた。

「裁判官キャリアシステム」は司法試験に合格した若者を裁判官として採用し、ピラミッドシステムに取り組む制度であるが、「法曹一元制度」は、10〜15年間の長い期間、弁護士等の法律家経験を積んだ者から、裁判官を選任する制度である。長い期間の弁護士経験という事は、裁判官としての能力と識見の双方において優れ、広い視野を持ち、裁判官がなし得ることについての認識において謙虚であり、また人の心の痛みがわかる人物ということである。そのような裁判官が誕生しないと、日本の裁判所は再生できないという内容であった。「法曹一元制度」に期待したい。