句会に参加した。今回の兼題は「柊の花」であった。私は「柊の花」で作品が作れず、以下の2句を投句した。
①冬日差す翠のテラスに異国見ゆ
②旗竿の威風堂々冬出島
投句した時は、いい句ができたと思って投句したが、今日の句会における評価はどの句においても芳しいものではなかった。
①冬日差す翠のテラスに異国見ゆ
この句については、緑のことを「翠(すい)」という言葉であらわしているが、先生からは強引すぎるので、ありのままに「緑のテラス」を使って、冬日差す緑のテラス異国見ゆ とした方が良いと指摘を受けた。さらに 冬日差すテラスの緑異国見ゆ の方がいいでしょうと添削された。助詞の「に」を使うと8字の字余りになるので「翠(すい)」を使ったが、助詞「に」を省いても意味は正しく伝わる時は省略しても可能である。なぜ気づかなかったのだろうと反省した。
②旗竿の威風堂々冬出島
この句については、私は自信作のつもりで投句したが、先生からは旗竿が威風堂々という意味がわからない。国旗がはためいている状態であれば、まだ威風堂々という感じを理解できるが、旗竿と威風堂々という表現が理解不能という先生の評価であった。先生は 冬出島オランダ国旗堂々と と添削された。
この句について、私は旗竿を主役にして俳句を詠みたいと思って作った句である。出島の旗竿はオランダがフランスとの戦争に敗れ、世界のオランダ領が全てフランスに占領されてしまったとき、唯一オランダの国旗が世界で翻っていたのはここ出島の旗竿だけであったという歴史の生き証人としての出島の旗竿を、俳句に詠もうと思ったが、その感動をうまく俳句で表現できず、意味不明と評価されてしまった。旗竿の歴史を理解しないと、確かに、旗竿が威風堂々というのは意味不明になると思った。俳句を作る時は、自分だけわかっても、鑑賞する人がわからない俳句は無意味だと思った。俳句を発表して、俳句を見た方が、理解できるように俳句を作らなければいけないと痛感した。
今日の優秀作は次の2句であった
①日向ぼこカピタン部屋は南向き
この句は、出島の主であるカピタンの生活の様子が想像できるようなイメージが膨らむ句であるという評価であった。南向きという言葉が効果的に使われていると強調されていた。
②花柊心の隙間埋めて咲く
花柊は、小さい花がいくつも咲くが、その小さな花が人間の心の隙間を補うように埋めていき、心を満たしてくれればいいのにという心象風景を詠んだ句である。そのような気持ちに共感した方の票が多かったようだ。
今回、私は選句に迷うことが多かった。どの句もよく見えて選ぶのに時間がかかってしまった。私が選句に手間取るのはいい句が多いのも確かにあるが、逆に判断ができないという選別能力の力量に問題があるように思った。私はいい句だと思っていたが、先生が指摘した句の問題点を次に記す。
①朝の陽に稲佐山中腹照紅葉(あさのひに いなさちゅうふく てるもみじ)
この句の欠点は切れ字がなく、平凡な説明文になっているところです。俳句らしく作るには切れ字を使って、強調すべきところを強調して下さいと言って次のように添削された
朝の陽や稲佐山中腹照紅葉(あさのひや いなさちゅうふく てるもみじ)
②柊の咲きてなつかし父母の家
「雨降って地固まる」という言葉があります。俳句は、因果関係をそのまま俳句に詠むのはよくありません。「柊の咲きてなつかし」は因果関係です。また、俳句ではなつかしなどの気持ちは「隠せ」と言われます。「なつかし」などの気持ちはそのまま表現に使わないということです。だから、「懐かしい田舎」という意味の「在所」を使って、次のように添削します。
柊の咲きて在所の父母の家
③生垣にほろりと落つる柊の花
「ほろりと」は落ちる様子を表した言葉です。だから「落つる」は不要です。俳句は五七五の制限がありますからどんどん削ってください。次のように添削します。
柊の花はほろりと生垣に
④冬霧や墨絵のような金鱗湖
この俳句の「墨絵のような」という表現は使ってはいけません。墨絵のような。。。という表現は、よく使われるありふれた表現方法です。俳句はありふれた表現は使わないようにして下さい。それに「ような」という言葉も禁句です。「如き」俳句はダメです。
⑤プードルも毛糸を纏い冬囲い
まず、この句の「も」は説明的になるので使わないようにして下さい。俳句は、常に説明的にならないようにして下さい。冬に備えるのですが、植物ではないので「冬囲い」は「冬構え」がいいでしょう。次のように添削します。
プードルは毛糸を纏い冬構え
⑥衝動買い少し後悔夜寒かな
この句は3段切れです。また、「少し後悔」は気持ちをそのまま表現しています。俳句は気持ちをそのまま表現しないようにしましょう。次の句を参考にして下さい。 財布軽し衝動買いの冬コート
今回も参考になることが多い句会であった。気持ちをそのまま表現しないというのが俳句の基本にあるが、日本語を充分使いこなせないために、どうしても気持ちをそのまま使ってしまうことがある。日本語の表現力がないといい俳句ができないことがよくわかる。一歩一歩歩んで行きたいと思う。