内田樹さんが中国共産党の機関誌である「環球時報」から求められた、高市発言についてコメントの全文をネットで拝見した。そのコメントは「環球時報」の質問に答える形で出されていた。
そのコメントの一部を下記に記す。
問 : 内田さんご自身が高市首相の台湾有事発言に反対する主な理由は何ですか?
内田 : そもそも、1972年の日中共同声明において、日本政府は台湾を「中華人民共和国の領土の不可分の一部」とする中国政府の立場を「十分理解し、尊重」すると言明しています。ふつうに読めば、万が一台湾が独立を宣言して、中国がこれを「反乱」とみなして「鎮圧」に向かった場合でも、日本政府は、これは「国家間の戦争」ではなく「内戦」であるとする中国政府の立場を「十分理解し、尊重する」という意味に解するしかない。
ですから、高市首相の台湾有事解釈に私は同意しません。台湾と中国の間で何かシリアスな問題が起きた場合もそれは法理的には「内政問題」であり、他国は干渉すべきではない。自衛隊の武力介入は、事態をさらに紛糾させ、東アジアの軍事的緊張を高め、日中の全面戦争をもたらしかねない「悪手」です。
問:現在SNS上には「中国側は高市首相の発言に対して『過剰反応』だ」という見方もあります。これに対しては、どのように思われますか?中国の反応は過激だと感じられますか?
内田 : 私は中国の反応を過剰反応だとは思いません。発言直後の薛剣駐大阪総領事による「汚い首は斬ってやる」という投稿は感情的なものだったのか、あるいは計算されたものだったのか、どちらか私にはわかりません。しかし、あの投稿が「高市発言は由々しい外交問題である」ということを内外に知らしめたことは確かです。もし、あれが「高市首相には慎重な態度を求める」という程度の穏やかなものだったら、日本政府も日本国民もことの重大さに気が付かなかったと思います
問:日本国民は、高市首相の関連発言がどれほど大きな問題を引き起こしたか本当に認識していますか?日本の一般国民は、内田さんが分析する「中国の論理」をどの程度理解し、受け入れることができますか?
内田 : 中国には対日カードがいくらもありますが、日本は中国に対抗して切れるカードがほとんどありません。このまま中国からの経済的圧力が加圧されていったら、日本経済は深いダメージを受けるのは確実です。そのことを冷静な政治家や官僚やジャーナリストは理解していると思います。多くのビジネスマンもことの重大性を理解していると思います。
ですから、本来なら、ビジネス・エリートが率先して高市首相に発言の撤回と、日中関係の正常化を求めるべきなのですが、最初にそれを口にした人がまっさきに「高市支持者」たちの攻撃の標的になり、「中国のスパイ」というような非難を浴びることになることは確実です。それによって不買運動や攻撃的なメールや電話が殺到して事業に支障が出ることを彼らは恐れています。高市首相に発言を撤回して欲しい、けれどもそれを口にする「ファーストペンギン」にはなりたくない。そのジレンマの中に日本の財界人たちは今いると思います。
問:高市首相の誤った答弁によって引き起こされたこの外交危機について、彼女はどのように片付けるべきだと思われますか?
内田 : 発言を撤回し、中国に謝罪し、総理大臣を辞職するのがことの筋目だと思います。
など環球時報の質問に答えながらコメントがなされていた。私はコメントを読み全面的に同意することができた。しかし、このコメントは大変勇気のいることだと思った。そのことについてコメントの末尾に次のように書かれていた。
「環球時報」から高市総理の台湾有事発言に関してのコメント依頼が来た。「環球時報」は中国共産党の機関紙である。そこに「高市首相の発言撤回と謝罪と辞任を求める」日本人として寄稿することにはベネフィットとリスクの両方がある。
ベネフィットは中国の相当数の読者に日中の関係正常化と東アジアの平和を願う私の意見を直接伝えることができるということである。リスクは中国共産党の日本批判の「ウェポン」として利用されるかも知れないこと、そして日本国内のネトウヨたちから「中国のスパイ」として罵倒されることである(こちらは確実)。
どのような行動にもベネフィットとリスクがあるが、今回の寄稿依頼については「リスクよりもベネフィットの方が多い」と判断した。
私の記事が日中の緊張緩和に資することがあれば、それで利益を得るのは日中の国民たちである。私がこれを書いたことによって、私が利用されたり罵倒されたりした場合、それで損失を蒙るのはさしあたり私一人である。ベネフィットを享受するのが集団で、リスクを負うのが個人であるなら、どうすべきか判断するのに、わざわざ計量的知性を動員するまでもない。そのような考えでコメントに応じることとしたと書かれていた。
今、ネット社会は、ネトウヨが浮かれ騒いでいる。中国寄りの意見を見つけると罵詈雑言で罵倒される。そういう者の相手をしたくないということで正論を手控えるという声も聞く。他人のために危険を犯すという意味の「火中の栗を拾う」という諺があるが、内田樹さんの行為はまさに「火中の栗を拾う」ことである。自分のために危険を犯すことは誰でもできるが、他人のために危険を犯すことは簡単にできることではない。新年早々、内田樹さんから勇気をもらった。そして内田樹さんの考えを知って私の気持ちが明るくなった。内田樹さんに感謝である。