
鈴木邦男さんの著書を読んでいたら、内田樹さんの「昭和のエートス」が面白かったと書かれていた。図書館で「昭和のエートス」を見つけたので早速読むことにした。「昭和のエートス」は昭和20年8月15日と言う巨大な「断絶」を、葛藤しながらも受け入れ、生き抜いた「昭和人」の視座から、現代日本はどのように映るのだろうかということに思いを馳せたエッセイである。学ぶべきことがたくさんあった。その一部を記す。
「負け方を習得する」という項目では、次のように書かれていた。
「家庭でも学校でも会社でも、私たちは『どうやって競争に勝つか』を教えられる。しかし、勝つだけが人生ではない。夏の甲子園高校野球には4000校以上の高校が参加するが、勝利するのは一校だけで、残りは全て敗者である。このイベントに何らかの教育効果があるとすれば、それは間違いなく「どうやって勝つか」を会得することだけではない。それが唯一の教育効果とするならば、その教訓を生かせるのは、毎年全国で1校しか存在しないことになる。
逆に高校球児が高校野球を通じて学ぶことは『適切に負ける』仕方を学ぶことである。高校野球が有効な教育授業であるということについては、社会的合意が成立している。それは、『適切に負ける』仕方を学ぶことが、人間にとって死活的に重要だと言うことをわかっているからである。
「適切な負け方」の第一は、『敗因はすべて自分自身にある』というきっぱりとした自省である。負けたのは、チームメートのエラーのせいだとか監督の采配が悪かったからだとか言い逃れをする高校球児は、誰からのリスペクトも得ることができないだろう。
第二は、『この敗北は、多くの改善点を教えてくれた』と総括することである。負けた後に『私たちとしてはベストを尽くしたので、もうこれ以上改善努力の余地はない』と言う人間は、敗北から何も学んでいないことになる。
第三は『負けたけれど、とても楽しい時間が過ごせたから』と言う愉快な気分で敗北を記憶することである。
勝つ以上に多くの利益をもたらす負け方がときにはある。そのことを子供たちに教えることが大人にとっての大事な仕事である」と語っていた。
高校野球を「適切な負け方」を習得させるためにあるという視点はとても新鮮であった。当然と言えば当然かもしれないが、負けたことを素直に受け入れきれないで余計なことを吐く大人も多いのも事実である。「適切な負け方」の三点はしっかり大人が子供に教えなければならないことだと思った。
「日本属国論」という項目では次のように書かれていた。
「日本は属国である。日本はこれまでずっと属国であったし、今もそうであると言う事実を私は指摘しているが、理解できずに当惑する人が多い。中には、「この非国民」と怒り出す人もいる。だが、日本が辺境の属国だったというのは、リアルな歴史的事実である。私たちが日本の来し方行く末について考えるときには、ここを起点としてしか話は始まらない。
志賀の島から出土した『漢委奴国王』の金印は、紀元一世紀の北九州が後漢の外臣国だったことを教えてくれる。それは中学生が学ぶ歴史の教科書に書いてある。これは、中華帝国の『辺境自治領の支配者』を意味する官名である。
19世紀までそれが続いた。その後日本人は属国であることを止めて、主体的奪還を企て戦争を始めた。日本は、中国、ロシア、アメリカなどの隣接するすべての国と半世紀にわたって戦争をし続けた。そしてこの『脱属国』戦争に最終的に負けて、敗戦以後は、アメリカの『軍事属国』として『核の傘』の下に間借りしてきている
2000年に近い列島の歴史のほとんどの時期を、日本人は東西の強国(精神的な、あるいは戦略的な)の属国として生きてきた。だとすれば、21世紀の国際戦略を起案する時にも、その現事実から出発するほかあるまい。
日本と言う国名の『日の本』とは、すなわち『昇る朝日の下にある地』を意味する。英語では “land of rising sun”と呼ぶ。いずれも『朝日の昇る国』の意味である。日本列島に昇る太陽を『朝日』として認識できるのは、日本より西の地方の人だけである。『日本』というのは『大陸から見た東方』を意味する国名なのである。
もし、アメリカが『カナダ南』とか『メキシコ北』と自称したら、私たちはその主体性のなさを笑うだろう。けれども、その時私たちは自国がそれと同じタイプの名乗り方をしていることに気がついていないか、または気がついていないふりをしているかのどちらかである。
自分を主体としてまず立てることをせず、『主体である他者』からどの方位に見えるかを己のアイデンティティーの基礎付けとしているという当の事実に気づかずにいられること。それがおそらく『属国人』の際立った特徴なのである。
幕末の国粋主義者、佐藤忠満は『日本』と言う国名は、属国性をはしなくもあらわにする国辱的呼称であるから、これを捨てるべきだと主張した。今日の愛国者たちも、その思想を一環させようと望むなら、佐藤に倣って『日本』と言う国号の廃止と、その国号を図象化して見せた『日の丸』の廃止を政治綱領の第一に掲げるべきであろう。
私は『属国』という語に、屈辱的な意味を込めているわけではない。ただその歴史的事実をクールに受け止め、それがもたらした利益と損失を冷静に吟味するところから、日本の世界戦略は構想されるべきだろうと提案しているだけである」とあった。
日本属国論も大変興味深く拝見した。国名の「日本」、国旗の「日の丸」は属国の意味があると考えもしなかった。知らなかった。2000年の日本の歴史をしっかり直視して、これからの日本を考えて行かなければならないと思った。