
鈴木邦男さんの著書「天皇陛下の味方です」を読んだ。この著書は鈴木さんの考え方がよくわかる本であった。そして、そこには共感できることもたくさんあった。鈴木さんは右翼である。鈴木さんが日本という国のかたちを考えるときに天皇は1丁目の1番地である。その鈴木さんの極私的天皇主義の一部を次に記す。
「少し古い話になりますが、2004年(平成16年)秋の園遊会で、当時、東京都教育委員会委員を務めていたプロ将棋士の故米長邦雄元名人と天皇との間に次のようなやりとりがありました。
米長「日本中の学校にですね、国旗を挙げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」
天皇「ああ、そうですか」
米長「今、頑張っております」
天皇「やはりあれですね、強制になるというようなことでない方がね、望ましいと・・・」
米長「ああ、もう、もちろんそうで、・・。本当に素晴らしいお言葉を頂きまして、ありがとうございました」
米長は決して悪い人ではないのでしょうが、他の右翼や保守派と同様、自分が反天皇主義に陥っていることを自覚していないようです。
それにしても、やはり今上天皇は素晴らしい方です。しかし、この天皇の発言に対して案の定というべきか、保守派から、天皇が政治や政策に踏み込んだ発言をするのはいかがなものかといった声が出ました。「これくらいの発言で、政治的だの何だのガタガタ言うんじゃねぇ、偽愛国者め」と私は思ったものです。彼らは憲法嫌いのくせに、天皇が自分たちの気に入らない発言をした時だけ「立憲」を持ち出すのです。
ちなみに、東京都教育委員会は、2004年の都立高の卒業式で、日の丸を飾る位置や君が代の歌合わせ方など12項目にもわたって細かく指示した上、監視役まで派遣しました。そして、起立しなかった250人の教職員を処分しています。これを強制と言わずして何というのか。ここでも天皇のお考えは無視されました。
日の丸や君が代がどんなに素晴らしくても、憲法で強制するようなものではありません。それを掲げたくない、歌いたくないという人だっているわけであり、そうした人々の自由を奪うような条項を憲法に入れては駄目です。繰り返すようですが、憲法の本義は権力を縛るものであり、国民を縛るものであってはならないのです。
「日の丸」・「君が代」条項は、自民党が「愛国」を強制していることを端なくも物語っています。権力によって強制されるような「愛国」なんか本当の「愛国」ではありません。まっとうな政治家の仕事は、小林節教授がいうように国を愛することを強要することではなくて、みんなが自ら愛せるような国にすることでしょう。自民党の考え方は本末転倒と言うしかありません」と書かれていた。
この一事だけで鈴木さんの天皇主義がよくわかる。
鈴木さんは言う。現在の日本には、2つの反天皇と言う立場がある。1つは、共産主義者などの主義主張から反天皇の立場に立つ人である。その主義主張には一貫性があり、わかりやすい。自由主義社会の日本において、天皇や天皇制に対する批判があっても良いと鈴木さんは言う。
そしてもう一つの反天皇主義者とは、保守派の反天皇主義である。日本の政界には多くの保守主義者がいて、その保守主義者は常に「愛国」と「尊王」を口にする。そしてその同じ口から、今上天皇夫妻と、皇太子夫妻に対する陰湿な批判が垂れながされている。
この尊王を掲げた反天皇主義者は「権力保守」と「妄想保守」の2種類に分けることができる。「権力保守」とは戦前の軍事政権や現在の安倍政権等がその最たるものであり、彼らは、天皇の権威を利用して、自らの権力基盤を構築したいだけで、天皇の意思なんかどうでもいい。むしろ天皇には意思など持って欲しくないし、天皇の「お言葉」は、時として邪魔になると思っている。
もう一つは「妄想保守」である。自分で勝手にあるべき天皇像を脳内に作り上げ、それと異なる天皇、あるいは実在する天皇や皇太子も認めないと言う保守である。
私は天皇や天皇制について深く考えたことはなかったが、鈴木さんからすると「愛国」や「尊王」を叫ぶ人の多くは、自分の天皇像に合致しない天皇なんかどうでもいいと思っている人が多いようだ。鈴木さんならずとも私も「天皇陛下の味方です」と言いたくなる本であった。