ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

句会に参加 その19

 句会に参加した。今回の兼題は「寒」であった。この「寒」について、俳句では「寒九の寒」と「寒いの寒」の二つの意味があるという説明であった。今回は限定せず、どちらの寒でも良いということであった。私は今回、三句を投句して、そのうち2句が寒を季語にした句であった。私は、寒について2種類の意味があるとは知らなかったが、言われてから自分の句を見直すと、私の句は「寒いの寒」であった。私が投句した3句は次の通りである。
①金鍔の隠れし岩穴風寒し
満州の極寒の地で家奪う
③裸木の全てを捨てる潔し

この3句について、先生から次のように講評していただいた。
①金鍔の隠れし岩穴風寒し 
この句は、誰からも選句していただけなかったが、先生から次のように説明していただいた。この句は歴史俳句です。キリスト教禁教令が出されていた鎖国時代の長崎に金鍔次兵衛という日本人の司祭がいた。次兵衛は金鍔の刀を差した武士になりすまし布教活動をしていたため金鍔次兵衛と呼ばれた。闇に紛れて布教活動をし、神出鬼没の活動をしていたが最後は捕らわれて殉教した。次兵衛の勇敢な活動と英雄的な殉教は人々の心に深く刻まれ、金鍔次兵衛が隠れていた岩穴がある場所を、後世の人は金鍔と呼ぶようになった。その岩穴が今も残されている。この句はそこを訪れた時の句です。歴史を知って、それを俳句で表現するのは良いと思います。

満州の極寒の地で家奪う
この句は満州国開拓団の悲劇について書かれた著書「刻印」を読んだあとに、込み上げる怒りを持って詠みあげた句である。この著書の中に、満州国は「五族協和」「王道楽土」という宣伝文句で多くの日本の農民が集められ、多くの農民が夢と希望を持って満洲国へ渡って行った。しかし、その極寒の北の大地で与えられた住宅は、現地の中国人の住んでいる住宅から彼らを追い出し、接収したものであった。「五族協和」「王道楽土」どころか、まさしく侵略であったと書かれていた。私は、この事実を知って、②満州の極寒の地で家奪う を怒りこめて詠んだ。

 この句は誰からも選句してもらえなかった。先生は、この句について、これは野盗か何かを題材にした句ですか?意味がよくわかりません。説明してくださいと言われ、私は上記のことを説明した。それに対して、先生は、「家奪う」ではなく、奪われた側に立って詠んでくださいと言われた。私は、この俳句は加害責任を明確にするため、敢えて「家奪う」という句にしましたと説明した。先生は、逆の立場から詠むのがいいでしょうと強調されていた。
 その時は、先生の言う意味を理解できず、「はい、わかりました」と言わなかったが、先生の言葉を反芻して、先生の言葉の意味は次のようなことだったのかなと思った。

 先生は、俳句の基本は美しい日本語ですといつも言われる。私が作った、「家奪う」の句は、荒々しい怒りに満ちた言葉で、これは美しい日本語とは言えない。怒りを込めた句を詠むとそれは俳句ではなく、川柳になりますよということだったのかなと思った。

 反戦川柳詩人に鶴彬がいる。彼は怒りの反戦川柳をたくさん残している。「万歳とあげていった手を大陸において来た」「手と足をもいだ丸太にして返し」「修身にない孝行で淫売婦」「ざん壕で読む妹を売る手紙」
 私が怒りをあらわにした句を詠むと、それは俳句からはみ出ることになるから逆の立場から詠む方がいいでしょうと言われたのかなと思った。怒りを込めると日本語が荒くなるから注意しなければいけないようだ。


③裸木の全てを捨てる潔し
この句はお一人に選句していただいた。葉っぱを全て落とした裸木を見て、その潔さに感心して詠んだ句である。選句された方も同じような気持ちだったのだと思った。先生からは、裸木の全てを捨てて潔し と訂正していただいた。

 今回の句会においても、様々な注意・指摘を受けた。この注意・指摘が初心者の私にはためになる。そのいくつかを次に記す。同じ失敗を繰り返さないようにしたい。
◯ 俳句で動詞を使う時、他動詞の戻るを使った場合、何を戻すのか俳句の中ではっきりした方がいい。 ◯ 季語は中七に置かない。出来るだけ上五か下五に置く。 ◯ 俳句で動詞を使う場合、一つの俳句に動詞は基本一つ。多くても二つまでに留める。三つはやりすぎである。
季重なりに注意。季語が複数あると焦点が曖昧になることから、俳句の基本は一句一季である。ただし、二つ の季語に強弱があってお互い邪魔しないとき季重なりが認められる場合もある。しかし、三つ重なるのは特別 に計算され尽くされたもの以外は認められない。

今回も有意義な句会であった。先生から注意されてもまた同じ失敗をするだろう。その繰り返しである。それでも、今年も句会に取り組んでいこうと思う。