ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「果てしなき時間の旅」を見る

 NHKBSで「果てしなき時間の旅」という番組を見た。 番組冒頭、次のような番組紹介があった。
「宇宙の誕生とともに動き出した『時間』、人類の壮大な歴史は、その『時間』とともに始まった。今、現代社会に生きている私たちは時間に追い立てられている。1時間が1分に、1分が1秒に、私たちの生活は、秒刻みになっていった。私たちは常に時間のことを気にして予定をびっしりと埋めている。

 およそ1万年前、人類が農耕を始めた頃、いつ種を蒔きいつ収穫するべきかを判断するため、正確な時間を知りたいと思った。以来、より正確に時間を知りたいという思いに人類はつき動かされてきた。その結果、日時計、水時計、そして機械式時計まで、私たちの文明は『時間を知る能力の向上』とともに発展してきた。
 機械式時計の誕生によって、正確な時間を知る能力が高まり、そのことがどれほど重要な役割を果たすことができるようになったか計り知れない。
 その後、技術の進化とともに時間の効率はさらに上がっていき、昼も夜もなく活動する現代人の生活はますます加速していった。私たちを加速させていくテクノロジーは、より良い生活をもたらすはずであった。しかし実際には逆のことが起こっていった。時間を正確に知り、効率的に使うことは私たちの生活を豊かにするはずであったが、しかし、いつからか時間は私たちを支配するようになっていった。タイムパフォーマンスを求めるほど時間は私たちを拘束し、私たちは時間の主人ではなくなり、『時間の奴隷』となっていった。なぜこんなことになったのだろうか?
 過去から現在、未来へと進む時間、その歴史をたどりながら、私たちにとってその時間とは何か、そしてその時間とどう向き合うべきかを探ります」

 その昔、私たちの祖先は、月や太陽の動きから暦を知りその流れの中にある「自然の時間」の中に生きていた。そういう生活の中、僧院では祈りの時間を知るために、蝋燭の燃える位置で時間を知る「人為的な時間」を活用するようにようになった。人類は当初、太陽が示す昼と夜の変化や季節の変化による「自然の時間」と自然によらない人類によって計測される「人為的な時間」の二種類の時間の中で生きてきた。
 何百年の間、「自然の時間」と「人為的な時間」は共存していた。しかし、13世紀になるとより『人為的な時間』に比重が傾いていった。それは、13世紀に、機械式時計が発明されたからである。それまでは、町に鐘の鳴る塔や教会があってそこの鐘が時を知らせていた。鐘は、1日の祈りの時刻や、日の出日の入り、仕事の始まりを知らせて私たちに秩序を与えてくれた。しかし、その鐘はヨーロッパだけでなく、世界中で機械式時計に置き換えられていった。
 機械式時計の発明、それは人類を大きく飛躍させた。そして18世紀の産業革命において、機械式時計は産業革命の大きな推進力となった。
 しかし、機械式時計は大きな問題を生み出した。規則正しい時間が人々を抑圧することになった。産業革命は一般の人が手に入れられる安価な時計によって実現した。時計は、工場への出勤時刻、労働時間など人々を同じ時間に行動させるために欠かせないものとなった。効率よく作業を進めるためには、人々を同時に行動させる必要があった。
 時間は徐々に人々を規制し、追い立てるようになっていった。休憩も時間によって決められ、人々は時計のように正確に事をこなすように強いられた。労働者たちは徐々に不安不満を募らせていった。

 その後、オートメーション化がさらに進み、製造ラインのスピードがますます加速し、その過程で人間たちはどんどん隅に追いやられ、そして現代社会において、人類は時間の奴隷になっていった。

 では、時間の奴隷からどうやって逃れればいいのか?
アメリカのハーバード大学で、興味深いアンケート調査が行われた。そのアンケート結果は、時間の有効な使い方は年老いて初めて分かるということであった。アンケートで、人生に何か後悔があるかと尋ねたところ、圧倒的に多かったのは、疎遠になった関係、もっと人に親切にできたかもしれないという後悔であった。死に際にお金や財産について後悔する人はほとんどいなかった。人々は、他者との関係性で、もっとこうしておけばよかったと感じている人が多かったという結果であった。つまり、時間の奴隷に陥った人は、人との関係に大きな悔いを感じていることであった。これは私たちにとって重要な教訓である。
 人生において、私たちは1人で生きていくことはできず、誰かと時間を共有して生きている。しかし、慌ただしい日常において、私たちが他者に心を開く事は少なくなっていった。私たちは、なぜ、このようなことにもっと時間を割かないのだろうかと書かれていた。


 追い立てられた毎日から自分を取り戻し、時間の奴隷から逃れる一つの手段として、周りの人と心を開く時間を持つことが必要なようだ。人生の終わりにもっと親切にしとけばよかったという悔いを残さないようにしたいと思う。そのために時間をどのように使うべきか、自分の利益拡大のために使うのではなく、周りの人と心を開くために時間を使うことが大事なようだ。それが時間の奴隷から抜け出すひとつの方法というのを聞いて、心を開くこと人間関係を築くことを、今まで以上に積極的に実践しなければと思った。