新聞紙上で、ホルムズ海峡での軍事作戦参加についての下記の記事を読んだ。
「米国のトランプ大統領は、同盟各国に対しホルムズ海峡での軍事作戦参加を求め、いわゆる「『ホルムズ連合構想』を打ち出したが、この構想はわずか3日で事実上挫折した。3月14日に英国、フランス、中国、日本、韓国を名指しし『誰が支援するか記憶する』などと脅迫のように海軍艦艇の派遣を要求したが、同盟国は全て軍事作戦参加に応じなかった。
米国からの艦艇派遣要請に、同盟各国はこれは自分たちの戦争ではないと距離を置いている。例えば、フランスのマクロン大統領は『フランスはこの戦争の当事者ではない。今の状況ではホルムズ作戦に参加はしない』と明言し、ドイツのメルケル首相は『これはNATOの戦争ではない。米国とイスラエルは戦闘を始める前にわれわれと協議していない。そのためドイツは軍事面でいかなる関与をするかという質問自体が成立しない』との考えを示した。米国と最も緊密な関係にある英国もスターマー首相自ら『英国は戦争が拡大しても巻き込まれないだろう。これはNATOの任務ではない』と距離を置いた。イタリアのメローニ首相も『(軍の派遣は)介入をさらに拡大するものだ』として現時点では保留する考えを示した。米国と隣接するカナダはアナンド外相が『軍事作戦開始前に通知を受けていないので参加する考えもない』と明言した。軍の派遣が予想されるオーストラリアも『要請を受けたことも、貢献もしていない』として一蹴した。中国は『各国は軍事行動を中断すべきだ』として反対の立場を示し、韓国と日本は憲法や法的手続きなどを理由に慎重な態度を崩していないというニュースを見た。
当然である。「国際法違反の戦争を起こしといて、石油が手に入らなくなるから戦争に加担せよ」と言われても、国際法違反の戦争に関与していない他国は「国際法違反の戦争をまず止めなさいよ」と言うのは当然である。
しかし、トランプ大統領は各国の対応について怒り狂っているというニュースも届いている。そういう中、日本の高市首相は日米首脳会談へ向けてアメリカへ旅立った。
そのことで、ジャーナリストの高野孟氏の「高市首相は国益を主張できるか」という意見をネットで拝見した。その一部を記す。
「高市早苗首相は19日、トランプ大統領と会談する。最大の懸念は、イランで八方塞がりに陥ってほとんど狂乱状態にあるトランプが、ホルムズ海峡の封鎖を実力解除するために、日本も軍艦を派遣してくれと要求し、高市首相が軽々しくOKしてしまうことである。
トランプ大統領が行ったイラン軍事侵略は、疑いもない国際法違反の犯罪行為であり、それに加担することは共犯者になることを意味する。日本国民の多くも、この事態の本質をよく見抜いていて、朝日新聞が行った調査では、米イラン攻撃を支持しない82%、支持する9%であったので、もしOKすれば、そうでなくとも下がり気味だった高市首相の支持率は急落するだろう。
だから普通に考えれば、そんな自分の方から戦争に巻き込まれていって政権の崩壊すら招きかねない決断をするはずがないのだが、高市首相の場合はわからない。昨年10月のトランプ来日の際の彼女の態度を思い出してほしい。トランプと2人で並ぶと、必ずといっていいほど体をもたれかけるようなしぐさをし、横でぴょんぴょん飛び跳ね、まさに対米従属むき出しのゲイシャ姿を思えば「軍艦を出せ」と言われて断ることなど到底できそうにない。
しかし、それは世界の少数派に身を落とすことである。今や世界の大勢は、トランプをまともな人間とは捉えておらず、いかにして米国と距離を保って、自国の安全を図るかを考えている。その筆頭がカナダのカーニー首相で、今年1月のダボス会議で、米国が国際秩序の守護者であるという「嘘の中で生きるのはもうやめた」と言い切り、それに呼応してスペインのサンチェス首相やイタリアのメローニ首相は、米国の戦争への協力を拒否した。さて、高市首相はこうした世界の動静をしっかりと捉えて、日本の国益を堂々と主張することができるのかどうか」と書かれていた。
日本の外交の基軸は、日米同盟の強化と、自由で開かれた国際秩序の維持・強化である。これは、日本の平和と安全、そして国際社会の安定と平和を確保するための重要な柱としてきた。
日本の外交の基軸である同盟国の米国が、いま世界から疑問視されている。カナダのカーニー首相は米国が国際秩序の守護者であるという「嘘の中で生きるのはもうやめた」と言い切り、周りの国々もその意見に同調している。米国はもはや信頼に値する国ではないと世界は考えているようだ。
しかし、日本の高市首相は他国の首脳みたいに批判しない。テレビ討論などでは、高市首相の対応について、「ダメなことはダメと言うべきでしょう」と言う意見対し、「日本が米国にそんなこと言えるわけないだろう」というコメンテーターもいた。問題は日本国はアメリカの属国として生きるかどうかにあるようだ。この根本問題を考える時期に来ているようだ。