
前書きには次のように書かれていた。
「高市政権下で進む原発回帰と再稼働。なぜ日本政府は安価で安全な再エネを捨て、高価で危険な原発に頼るのか?原発利権の核心に迫りつつ、再エネで新たな人生を切り拓こうとするたくましい被災者たちの物語」
エネルギーを自国で確保することは、私たちのライフラインの命綱であり、究極の安全保障である。にもかかわらず、日本のエネルギー自給率は低迷しており、2023年はわずか15.18%である。OECD(経済協力開発機構)加盟38カ国中37位で、韓国(36位、21.45%)より低い。かつて日本は、石油の輸入が立ち切られたことが、無謀な戦争に向かっていく一因となった過去を持つ。だからこそ、自前でエネルギーを確保することが最大の安全保障になる。
幸いなことに、日本は再生可能エネルギーの環境に恵まれている。島国で風が強い海に囲まれ、火山帯で地熱の可能性が高い。海外では、屋根置きの太陽光パネルを急激に普及させて再エネ率が4割に達した国もある。日本もやる気になれば太陽光発電の普及は可能である。しかし、なかなか再エネの普及は進まない。
国の施策としてのエネルギ関係の予算配分の流れは次のとおりである。
2001年当時国の再エネの研究予算は162億円であった。一方、当時から日本の原子力の国の研究予算は、毎年3300億円程度が付けられ「原子力立国計画」が打ち出されていた。2011年の原発事故で原子力予算が一時削られたが、それでも再エネ予算の二倍であった。最新の2024年度では、原子力研究には1679億円、再エネ予算は347億円と再び原子力偏重が加速している。
この本には、原発の実態が余すことなく語られていた。
太陽光発電は、もともと日本の科学者たちが開発し育ててきた技術である。当然ながら、かつて日本は太陽光発電で世界トップシェアを占めていたことがある。日本はその分野で先行していたが、後発の中国は、その研究開発に国をあげて取り組んだ。そして、日本は国の援助を受けられないまま中国に追い越されてしまった。今では太陽光発電分野で活躍する日本の企業はいない。なぜ、日本政府は先行していた太陽光発電という再エネ産業に力を入れなかったのかという疑問が残る。答えは、再エネが進むと原発に不利になるからである。政治家が国家の予算面で再エネ促進策を阻んできたという実態が見えてくる。
国会議員という政治家は、全力をあげて国益ために仕事をすることが役目である。間違っても、国益は二の次で、全力を挙げて自分の利益のため、自分の保身のために仕事をするべきではないと私は思う。
政治家は選挙を経て選出される。選挙に当選することができるかどうかが、政治家にとって大きな問題である。その時、全力で選挙を応援しますという団体が現れたらとても心強い。また、選挙資金を含め必要なお金はいくらでも提供しますよと言われたらとても安心である。
2011年のフクシマ原発事故以後、「原発ゼロ政策」が打ち出された。しかし、2014年には「原発ゼロ政策」を否定して「原発を重要なベースロード電源」と位置付けた。その結果、再エネの普及が鈍化している。
原発は、日本で一番お金持ちの団体である電力業界が、選挙応援と資金提供で多くの政治家を囲い込み、再エネの芽を潰し、電力業界が進める原発政策を国策として推進させてきたからであると書かれていた。
原発がコスト的に安いことはない。原発が安全であるわけがない。原発がクリーンであるわけがない。高くて危険であるにもかかわらず、またフクシマ原発事故を体験したにもかかわらず、原発再稼働や原発新増設など原発回帰の政策が打ち出されている。それは原発が安くて安全だからではない。原発推進すると、多くの税金が投入される仕組みが出来上がっているからである。それは、国益を忘れ、最大の自己利益と自己保身を目指す政治屋の協力によって、原発推進がなされいる。その結果、再エネ関係の予算は大きく削られ、原発関連予算だけは潤沢に付けられていく。その影響は、再エネ関係の研究の停滞となり、日本の産業の発展の阻害にもなっているのである。
日本の技術力を持って取り組むと、原発は必要ない。再エネで日本の必要とするエネルギーを十分賄えるにもかかわらず、300万年も管理しなければならない核のゴミを出しながら原発を使い続けるなど狂気の沙汰である。この一件だけでも原発がいかにコストが高いものになるかがわかる。原発村と結託して自己利益のために奔走する政治屋を駆逐して、原発を止めないと日本の未来はない。