ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

山王神社へ行く

長崎市の坂本町へ用事で出かけた。用事を済ませたあと、せっかく坂本町に来たのだから、坂本町の山王神社に参拝した。坂本町の山王神社は長崎市民にとって決して忘れられない場所である。なぜなら山王神社は長崎原爆遺跡のある神社だからである。

左2026年5月撮影               右1945年撮影

 この山王神社の鳥居は、1924年(大正13年)山王神社のニの鳥居として建てられたが、1945年(昭和20年) 8月9日、午前11時2分原子爆弾の炸裂により、一方の柱をもぎ取られてしまった。ここは爆心地から南東へ約800メートルの距離にあったが、強烈な輻射熱線によって鳥居の上部が黒く焼かれ、また爆風によって1本の柱と上部の石材が破壊され、上部に残された笠木は風圧で反対方向にずれている。この「山王神社ニの鳥居」は原子爆弾の被害を伝える長崎原爆遺跡として国の史跡に指定されている

 もちろん坂本町における原爆による惨禍は鳥居の倒壊だけではない。原爆により町内は全て瓦礫の山となり、当時町内には157世帯780余人が生活していたが、生き残った者20名にすぎない。山王神社の一角に坂本町民原爆殉難の碑を建立し毎年8月9日慰霊祭を催し世界平和を祈念していると案内板に書かれている。

 

小学生の平和学習行われていた。先生から原爆の爆風で鳥居に捻り現象が生じて一方の柱が倒壊し、2000度という輻射熱線を受けた側はコンクリートの表面が溶けて彫られていた寄進者名が消えてしまったなどと説明を受けていた。

 

鳥居の土台には小さい瓶がたくさん置かれていた。何だろうと思って近づいてよく見ると、瓶の中には、小さく折られた千羽鶴が入れてあった。そして、メッセージには次のようなことが書かれていた。「二度と戦争の起こらない平和な世界になりますように」「みんなが笑い合える世の中になりますように」これは小学生が平和を願って千羽鶴を奉納したもののようだ。

 

山王神社の大楠は戦前から威容を誇っていたが、1945年8月9日、長崎に原爆が投下された際、爆心地から約800mに位置している山王神社は、本殿をはじめとする一切の建物が倒壊し、この大クスも枝や葉を吹き飛ばされ、黒焦げの太い幹だけが残り、あたかも死んでしまったかのような枯れ木になってしまった。しかし、被爆から約2か月後には、新芽が芽生え、その後も順調に樹勢を回復し、数年をかけて葉の生い茂る大クスに回復した。

  原爆により地域全体が廃墟となり、家族や親せきを失った長崎の人々は、この大クスの生命力の力強さに大いに勇気づけられた。「山王神社のクスノキ」は長崎市出身のアーティスト福山雅治さんの楽曲「クスノキ」のモデルである。

 坂本町の山王神社に参拝できてよかった。小学生の平和学習を横で見ながら、小学生がしっかり平和学習に取り組んでいるのを見て心強く感じた。日本の平和主義を次世代を担う子供達にはしっかりと受け継いでもらいたいと思う。