
いい天気が続いている。久しぶりに南山手の友達の喫茶店に行きたいと思い、南山手を散歩することにした。


今日の南山手散歩のスタート地点は「長崎港松が枝国際ターミナル駐車場」である。外国からの大型観光船が停泊している時は大型観光バスの駐車場に使われるが、入港がない時は一般に開放される。大型船が入港するとデッキも人でいっぱいだが、今日は閑散としている。


国際ターミナルの一角には「孫文先生と梅屋庄吉ご夫妻の三人像」が置かれている。案内には
次のように書かれていた。「中国民衆革命の偉大な先駆者である孫文先生の革命の生涯において、梅屋庄吉先生とトク夫人は一貫して見返りを求めることなく莫大な支援を行った。辛亥革命100周年にあたり、孫文先生と梅屋夫妻の友情と中日友好への多大な貢献を讃え、梅屋夫妻の故郷であり、古くから中国と深い関わりのある長崎県に三人像を寄贈し、もって中日両国国民の友情の証とし、両国国民の世世代代の友好を祈念します」
また、道路を挟んで反対側には、旧香港上海銀行長崎支店の建物が威容を誇っている。南山手一帯が旧居留地であった名残である。


南山手の入口には南山手居留地跡と国際電信発祥の地地という石碑が建てられている。案内には、「安政の開国(1859)により、この近辺の海岸地帯が埋め立てられ、この一帯には南山手外国人居留地が造られた。また、明治4年(1871)、長崎〜上海間、長崎〜ウラジオストック間に海底電信線が開通し、日本と世界が初めて即時に情報交換できるようになった」とある。その南山手を修学旅行の中学生について上っていく。


中学生の後ろをついて行くと大浦天主堂に着いた。大浦天主堂は、開国後の日本の居留地に住む外国人のために建てられた教会であるが、禁教時代を耐え忍んできた潜伏キリシタンが自分らはキリシタンであることを告白した歴史的信徒発見の舞台となった場所である。その大浦天主堂から少し上に行くとグラバー園の入口になる。グラバー園は南山手の丘陵地帯に多くの洋館が立ち並ぶ長崎を代表する観光地である。ここで中学生と別れて、私は喉が渇いたので喫茶店に立ち寄る。


私が行く喫茶店は南山手美術館である。ここで古い友人が喫茶店をしている。久しぶりに立ち寄って元気な顔を見たいと思った。友人はいつものように元気で笑顔で店にいた。後期高齢者になると、友達が元気でいると嬉しくなる。しばらく四方山話をした後、「また来るね」と言って店を出る。

店を出て東へしばらく行くと、地元で「祈りの三角ゾーン」と呼ばれている場所に出る。ここは大浦天主堂、妙行寺、大浦諏訪神社という、教会、寺、神社が接するところで、全国的にも珍しい長崎ならではのポイントである。噂では、ここでお祈りすると御利益が3倍になるらしい。


この石畳の坂道を地元の人は「祈念坂」と呼ぶ。作家の故遠藤周作氏は来崎したおり、いつもこの祈念坂の散歩を楽しんだそうだ。


祈念坂を上り切ると南山手レストハウス(南山手乙27番館)に着く。この建物は、元治元年(1864)に建てられた長崎の古い洋館である。今は町歩きの休憩所として使われている。この季節、花壇に薔薇が咲き、前庭には広い芝生が広がっている。そして、レストハウスの前は展望台公園になっており、木陰の椅子に座って展望を楽しむ。


左の写真は今回の散歩時の撮影で、右の木版画は版画家・田川憲氏が昭和32年(1957)にこのあたりからの眺めを書いたものである。田川憲氏はこの光景を「人間の丘」として描いた。「家を建てて天に至る。人間溢れ、家溢れ、そこに生まれ、死に、愛し、生活する人間のむんむんする息吹。私は、大きく生きてゆく力をもらう」と書かれていた。


長崎は坂の町である。どこに行くにも坂道を通る。しかし、下りはともかく上りは辛い。そういう長崎だから誕生したのがグラバースカイロード(斜行エレベーター)である。グラバースカイロードは日本で初めて道路として造られた「斜めに動くエレベーター」である。南山手散歩をする時、このスカイロードを上りで使うと、あとは下りだけで元に戻れる。しかし今日は運動のための散歩なので、スカイロードを使わないで階段を歩いて下る。
南山手散歩は私の好きな散歩コースの一つである。また、秋にも行きたいと思う。そうしないと友達から亡くなったと思われそうだ。そうならないように、たまには喫茶店にも顔を出したい。